鍵盤でぶっ叩くぞ

今回のウクライナ侵攻、世界の人々が情報ネットワークで繋がり、言葉の壁すら低くなってきた21世紀に、こんな前時代的なクソ寒い茶番劇を見ることになるとは思いもしませんでした。

今回の侵攻で思い出した事があります。僕が3年生の途中までいた中学校は不思議な学校でした。
1960年代~1970年代に学生運動をやっていたような先生方、日教組の先生方を多く集めた学校だったのです。

授業中に反戦や反核について熱く語るのはいいとしても、天皇制を否定する発言はするし、先生方がストライキ寸前まで行って緊張状態が走った事もありました。中には熱狂的信者となる同級生もいましたが、多くの同級生は割と冷静でした。中学生っていうのは大人の言う事を有無を言わさず否定する事で成長する年頃。そんな冷めたトコロが「新人類」と呼ばれる所以だったのかもしれませんね。

僕もそうでした。1年生も後半になってくるとだんだん冷めてくる。教諭の発言で「いい」と思った事は心の一番目の引き出しにしまいましたが、「何か違うぞ」と思った事は二番目の引き出しにしまうようにしていました。面と向かって反論したのは一回だけだったと思います。

そんな先生方が一斉に凹むような事件があったのは1979年12月24日でした。
ソ連がアフガニスタンに侵攻したのです。僕は中学2年生でした。

あの時の先生方の悲鳴にも似た失望を今でも覚えています。
W先生「(ソビエトに)失望した」
S先生「まさかあそこまでするとは....ガッカリだ!」
F先生「あれじゃあアメリカと一緒。断じてやってはいけない事です」
その言葉の意味を深く理解できる知識はかったのですが、ストーブも効かない冬の寒い教室で、先生方が代わる代わる落ち込んでいた事が印象に残っています。

いまだにわからないのは、当時の先生方がソ連にどんな幻想を抱いていて、ソ連がアメリカと比べてどう違うと思っていたのか?です。

今の僕なら、アメリカの北爆と同じように、ソ連がやらかした大粛清もカチンの森の虐殺もプラハの春も知っています。
おそらく当時の先生方もそれは知っていたはずです。それでも先生方は、ソ連に対して大きな幻滅と失望をこの侵攻で味わったようでした。

あの学校では誰もが民主主義の大切さや平和の大切さを学ぶ一方で、中間の立場で物事を考える事の大切さを学んだと思います。
当時は意識しなかったけど、振り返ってみるとそう思います。

今回のウクライナ侵攻に関して言えば、夢の終わりもへったれもありません。ある思想や主義の防衛をするという「高邁な」理由もなければ正義を振りかざす「良い」理由もない。そもそも「高邁な戦争」も「良い戦争」もこの世にはありません。

今回の戦争をロシアの過剰防衛と取るか?侵略戦争と取るか?ロシアの為政者特有の疑心暗鬼現象と取るか?
恥ずかしながら自分にはそこまでの識見はありません。あればあの頃の先生方の気持ちもちっとは理解できる事でしょう。

でも、一言で申せばこうなります。
「ふざけんな!鍵盤でぶっ叩くぞ!」

p.s.この文章をプロコル・ハルムの故ゲイリー・ブルッカーに捧げます。大好きなボーカリスト&ピアノ弾きでした。