大崩海岸と石部海上橋

あけましておめでとうございます。
本年もこの辺境blogをよろしくお願い致します。

1月1日は初詣に行くというわけでもなく、かと言ってどこへ行くというわけでもなく、どこかへと向かいました。
圏央道は車両火災事故の影響で、鶴ヶ島JCTが大渋滞らしい。だったら西へ向かいます。

富士山
1月1日は富士山が綺麗でした。


結局、辿りついたのは静岡大崩海岸の石部海上橋でした。
断崖絶壁を避けるように海の上に作られたこの橋は1972年7月31日に開通しました。

崩壊現場はこの最奥地点。

静岡県の4辺をぐるりと一つの円で囲むと、ちょうど円の中心となるのが高草山
その山塊が急激に太平洋に落ち込むのが大崩海岸です。「海岸」とは言うものの、白砂の浜辺とは程遠い。
静岡市の用宗から焼津に至る区間には猫の額ほどの集落があるばかり。
延々と4kmにわたって断崖絶壁が続き、その名の通り崩れまくっています。
断崖の中腹には昭和2年頃に開通した県道416号(旧150号)があり、風光明媚な道ではありますが、運転手には関係ありません。
レトロで曲がりくねった道を、対向車と落石に注意しながら走る、そんな道です。

残存する一号洞門(昭和40年頃)と二号洞門(昭和16年頃)
残存する一号洞門(昭和40年頃)と二号洞門(昭和16年頃)



現場はその区間では最北端に位置する場所でした。
1971年7月5日午前8時45分頃、国道150号線(当時)の第五石部洞門付近で大規模な土砂崩れが発生しました。
折からの長雨で地盤が緩んでいた事、早朝に震度1の地震があった事などが原因として示唆されていますが、そもそもこの区間は毎年2~3件の土砂崩れがある場所でした。
しかし、この7月5日は全く程度が違いました。通常の土砂崩れの3倍~20倍と言える8,000㎡の土砂が洞門を押しつぶしたのです
洞門を通行中の3台の車両が被災し、2台は車両損傷で済みましたが、1台は完全に押しつぶされたのでした。

残存する洞門は崩壊が進行している。
残存する洞門も土砂で埋もれている。

引き続き土砂が崩れ続ける中での救出作業も困難を極め、33時間後に、潰れた車両の中から、一人の遺体が発見されたのです。
2日前の7月3日に東亜国内空港ばんだい号の墜落事故が発生していたため、メディアの扱いは地味だったようです。

1971年当時、「新日本坂トンネル(1978開通=大崩バイパス)」なんてありません。
内陸の国道1号が整備されているとはいえ、国道150号は一日の交通量が1万~1万5千台という重要な幹線道路でした。
とりわけ焼津市民にとって、静岡市への利便性を考えたら重要なライフラインだったでしょう。
洞門の復旧工事も危険性が高く、国が選んだのは「海上に迂回する橋を造る」でした。

早くも1971年11月4日に着工開始、そして事故から一年後には全長400mの橋梁が完成したのでした。

石部海上橋
石部海上橋

ここを最初に通ったのは、もう50年も前になります。
夏休みに家族で浜名湖へ行った帰りですから、小学校4年生(1975年)だったと思います。
父が「ここで崖崩れが起きて、それで海にこんな橋を造ったんだ」と教えてくれたのを覚えています。

今思うと、父は静岡の国道1号のバイパスとか150号を使って極力高速代を浮かせようとしていたのでしょうね。
その気持ちはわかります。市街地の渋滞さえ我慢すれば、こんな快適な一般道は全国でも珍しいです。
行きは東名高速でしたが、帰りは極力下道で帰る事にします。
150号で久能山の海側へ、国道1号のバイパスで三島から箱根を越え、134号で鎌倉へ。

鶴岡八幡
鶴岡八幡

元旦だからでしょうか。思っている以上に道がスイスイで、鶴岡八幡で初詣も済ます事ができました。