僕はテリー・ライリーさんと坂を下りた

The Who “Baba O’Riley“のこと

The Whoが好きになってから、長い年月が過ぎました。
Pete Townshendが生み出す高い作曲能力とサウンドは、当時中学生だった僕には強烈だったのです。
「素晴らしい音楽はThe Beatlesだけじゃないんだ」という当たり前のような発見が、自分の音楽の扉を大きく開いてくれました。

そんな彼らの曲に「Baba O’Riley」という作品があります。

The Who – Baba O’Riley [1971]

打ち込みのシンセサイザーの音と、自由奔放なバンドサウンドが見事に調和した曲だと思います。
しかし歌詞には一切「Baba O’Riley」という単語は登場しません。この曲名の由来は長年の謎でしたが、大人になってからようやくわかりました。

「Baba」はPeteが傾倒していたインドの哲学者メヘル・バーバー(ミハー・ババ)の名前であり、「Riley」はアメリカの現代作曲家、テリー・ライリーさんの名前でした。O’は「of」を意味しますから「Meher Baba of Terry Riley」って事になります。「テリーライリーのメヘル・バーバー」...いや「テリー・ライリー的な音楽表現に基づくメヘル・バーバーの思想」なんていう解釈でいいのかな?とにかくこの曲の歌詞では一切曲名は出てこないし、そもそもこの曲の原題が「Teenage Wasteland(ティーンエイジャーたちの荒涼とした広野)」だという事をThe Whoのマニアなら知っています。

テリー・ライリーさんとミニマル・ミュージック

さて、そんなテリー・ライリーさん。
Pete Townshendのインタビューでこの名前を知りました。そしてPeteが影響を受けたアルバム「A Rainbow in Curved Air」を聴いた時の衝撃と言ったら、そりゃあもうでした。第一に「Baba O’Rileyのシンセはそのまんまじゃないか!」という驚き、第二にはそれが1968年にリリースされた音楽とは思えないぐらいの新鮮さ、そして彼が目指している「ミニマル・ミュージック」「ミュージック・ミニマリズム」という概念の先進性でした。

Terry Riley – A Rainbow in Curved Air

ミニマル・ミュージックとは「音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽」とWikipediaにあります。
単純な音のフレーズを繰り返し、それが次第に拡張したり発展したりしますが、あくまで元のフレーズが揺るがない。
僕はそんな風に解釈しています。テリーさん以外にも、スティーブ・ライヒなどが有名です。いわゆる「現代音楽」の範疇だとは思いますが、決して小難しい不協和音ではなく、調和された空間を生み出す音であると、僕は考えています。

戸塚LopoとかShibuya Homeあたりへ行けばわかるのですが、アンニュイな雰囲気を漂わせた女性シンガーが、コード二つで作った曲を歌っている。それは反復された最小限の音楽と言えるし、とても耳に心地よいから眠くもなります。今は世界的にも評価の高い青葉市子の音楽にも(直接的か間接的かはわかりませんが)ミニマルの思想を感じます。そしてテクノミュージックにも....「A Rainbow in Curved Air」は正にその源流と言えるでしょう...影響を与えている事は明らかです。

そこには音楽を言葉や演奏を介して伝えるものではなく、空気として伝える要素が多分にある。
空気なら言葉がなくても伝えられる。音楽の行き着く先はこういう音なのではないかと思っています。

鎌倉でのラーガ教室

そんなテリー・ライリーさんですが、いま日本に住んでいます。

2019年2月頃、佐渡島で開催される音楽祭の打ち合わせで日本に来たのですが、パンデミックの影響で帰国が困難となり、そのまま山梨県北杜市に住んでいるんだそうです。僕はこれを1年ほど前に知りました。

そして月に2日(土日)ほど、鎌倉でラーガ(インド古典声楽)の講座を開いているのです。テリーさんは1950年代にインドへ赴いてその複雑な音楽を学んでいます。「絶対行きたい!」と思いながら、なかなか予定が合わず、今日ようやく行く事ができました。

場所は朝比奈峠を越えた十二所の先にある「今此処商店」というカフェ&パン屋さん。

余裕を持って行ったら1時間ぐらい早く到着してしまいました。これが13時ぐらいの事。暖かいので会場となるカフェの店先でコーヒーを飲んでいたら、ほどなくスタッフとテリーさんを乗せた車が到着しました。

車からテリーさんが杖ついて降りてきました。まさに降臨という感じでした。御年88歳は僕の父と変わりません。物凄いオーラを感じましたが、とりあえず「ハロー」と挨拶しました。笑顔で答えたテリーさんの瞳はとても優しいものでした。

ところがです。おつきのスタッフが車から荷下ろしや会場と打ち合わせなどをやっている中、テリーさんが杖をついて店から出てきて、そのまま住宅街の細い路地をどこかへと散歩に行ってしまった。僕はそういうもんだと思って見ていました。

それから15分後ぐらいかな。「テリーさんがいない!」とスタッフの方が騒ぎ出したので「あちらの方に杖をついて散歩に行かれましたよ」と言ったら、探しに行ってしまいました。

14時前、15人の受講生が店先に集まってきて、受付の時間となりました。この講座は事前の抗原検査が必須です。配布された検査キットは口に加えて唾液を染み込ませるタイプ。5分ぐらいで結果が出るはずなのですが、僕はどうやっても結果が出ません。

さっさと結果が出た人はどんどんお店の中に入ってゆきます。
いの一番に来たのに、結果が出ないから入れません。

スタッフの方からもう一本検査キットを頂いたところで、探していたスタッフが「テリーさんが見つからない!」と帰ってきました。
自分もイベントをやるわけですから、こういう所は職業病。いつでも当事者感覚になってしまう。
ここで検査キットを咥えて5分待っているのもナンですから「それじゃあ、僕が探してきます」と、咥えたまま探しに出かけました。

テリーさんが歩いていった路地を通り抜けると、そこはちょっとしたT字路になっていました。
左は平坦ですが、右は坂になっています。
昔から山岳遭難の本などを読んでいると「遭難者はありえない方向に進む」とあります。
僕はその「ありえない坂の方向にいるんじゃないか」と考えました。

坂道を急ぎ足で登って行くと、ご年配のお洒落なご夫婦が下ってきた。検査キットを外さないと話ができません。

「杖をついた外国人の老人が上の方にいませんか?」と尋ねると、
「ああいらっしゃいました。坂の上の道を右手に曲がったあたりにまだいると思います。長髪で長い髭のお爺さんで、おしゃれな方でしたよ」。

ビンゴだ!

テリーさんとは関係のない方々ですが、こういう話をしてもわかりそうなご夫婦だと思ったので「あのお爺さん、実は世界的な音楽家のテリー・ライリーという方なんです」と言ったら「ひゃぁ、凄い方なんですね!」と驚かれていました。

ダッシュで坂道を駆け上り、右手に曲がると...いました!良かった!

話しかける直前に検査キットを見たら陰性になっていたのでこちらは安心です。
英会話は苦手ですが、こっちはこっちで心と音楽さえ通じれば何とかなるでしょう。

僕はテリー・ライリーさんと坂を下りた

思いっきり笑顔になって「テリーさん。皆さんがあなたの事を待っていますよ」と言ったら「オーケーオーケー」と言って一緒に引き返す事に。
先ほどご挨拶はしたので顔は覚えていてくれたようです。

何て言うのか...感動でした。

僕はいま、世界的な音楽家でPete Townshendにも影響を与えたテリー・ライリーという人物と、二人きりで鎌倉の坂を歩いているわけですからね。
2022年のクロノス・クァルテットとの公演は中止。
2023年3月4日 神奈川県立音楽堂「テリー・ライリー スペシャルライブ」は知らない間に終わっていました。
6月15日のEテレ「巨匠 テリー・ライリー降臨! 変わり続ける音」も知らない間に放映が終わっていました。

でも、なぜか僕はその「巨匠」と歩いているのです。
歩きがてらこんな話をしました。

まず「僕はPete townshendが大好きで、あなたを知りました」とご挨拶すると「おお、Pete Townshedね!」とお返事。

それだけでは失礼です。続けて「あなたの音楽は素晴らしいです。私は"A Rainbow in Curved Air"も”In C”も大好きです」という申し上げたら「ありがとう。私がそれらを作ったのはもう50年前の事だね」。

「君はミュージシャンなのかね?」と尋ねられたので、「いえいえ、ミュージックスクールのプレジデントです。ボーカルを教える学校です」と答えると「それはワンダフルな仕事だ。学校はどこにあるの?」と尋ねられたので「横浜と横須賀です」と答えると「アメリカ人なら誰でもよく知っている地名だ」と言ってくれました。

そうしたら日本語で「私は"はちじゅうはっさい"です」と言ってきたので「お元気で素晴らしい!」とお返事すると、今度は英語で「こうやってウォーキングするのは健康に良いです」と言ってきました。

「実は私の父も同じ年齢ですよ。1935年生まれです」と答えると「イエースイエース 1935年」と答えてくれました。

そうこうしているうちに会場となるカフェに辿りついたのでした。

ラーガレッスン

まだまだ受講者は続くと思うので、省略気味に書きます。
まずはテリーさんの弟子であるサラさんからガイダンスがあります。
サラさんが通訳も行うので、その点はご心配なく。

ラーガには「宇宙は音でできている」という思想がまずあり、五感で周囲の「音」を感じるところから始まりました。

そしてテリーさんの歌うラーガ音階に合わせて参加者で合唱します。例えば二つの音をレガードさせながら発声するのですが、二音の間には西洋音階に存在しない音もあったりして、これがなかなか難しくもあり、楽しくもあったのです。

テリーさん、長旅でお疲れのはずなのに、ずっと歌いながら2時間のレッスンをされたのです。

お次は誰を誘って行こうかなと。

最後に

思えば大学生の頃、シタールに興味を持って、インド音楽をかじった事がありました。
当時、吉祥寺にあった民族楽器の「羅宇屋」というお店にも行きました。
ミュージシャンの若林忠宏さんが店主&シタールの演奏家で、美味しいカレーを食べながら、話をあれこれ伺った事があります。

ラーガには西洋音階にない自由さがあります。朝の音階、夜の音階、お祭りの音階など、実に多様な音階を持っています。
テリーさんは「ムードで選んだらよい」というお考えだそうで、その日の気分によって音階を変えたらよいという考えをお持ちでした。
講座で歌う曲もその日の気分で変わるんだそうですよ。

音階も自由、講座の時間も自由、住むところも自由、それはミニマルミュージックの持つ自由さにも表れているのかもしれませんね。素敵でもあり、羨ましくもあったのです。

p.s.「ラーガ講座」にご興味のある方は下記リンクをチェックされるとよいでしょう。
X:Terry Riley Official (@TerryRiley_info)
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