日比谷パークビル(旧日活国際会館)最後の記憶

今日は失われたビルの話。

2007年9月1日、東京の日比谷にホテル「ザ・ペニンシュラ東京」がオープンした。24階建のザ・ペニンシュラ東京は「47のスイートルームを含む計314の客室と、5つの個性溢れるレストラン、ラウンジバーをはじめとし、ウェディングチャペルと神前式場、2つのボールルームに6つのファンクションルーム、さらにスパ施設……(公式サイトより)」とまあそういうゴージャスなホテルなわけだけど、そんなコトをこの場所で一生懸命書くわけもなく、ここから本題に突入。

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日活国際会館
さて、ペニンシュラ東京が建つ以前、この場所には「日比谷パークビル(日活国際会館)」という建物があった。映画会社の日活によって昭和27(1952)年4月1日に竣工した。
戦後としては初めての最大のビルであり、洗練されたデザインと竹中工務店による画期的な潜函(=ケーソン)工法から、昭和26年の日本建築学会作品賞を受賞している。なお、潜函工法ってのは、あらかじめ地上で地下室と一体になった建物を構築しておいて、底部の土を掘り出してゆき、自らの重量で建物ごとじょじょに沈下させてゆくという工法なんだそうだ。当時は「沈むビル」として話題になったらしい。
日活国際会館
地上9階、地下4階建てのこのビルには日活本社だけではなく多くの賃貸オフィスが入居していた。すでに同じ昭和27年の月も同じ4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、すぐそばの第一生命ビルにあった連合軍総司令部(GHQ)もその役割を終えていたはずなんだけど、場所がら米軍相手のお店が多かったようでドラッグストアの「アメリカン・ファーマシー」なども入居していたようだ。ちょっと日本離れした空間だったようだ。

そして最上階には日活国際ホテルがあった。このホテルには昭和29(1954)年にマリリン・モンローが宿泊し、地下2階にあったマトバ真珠宝石店で首飾りを購入している。そして昭和35(1960)年には石原裕次郎と北原三枝が、昭和37年には美空ひばりと小林旭がこのホテルで結婚式を挙げている。
日活国際会館
しかし昭和40年代に入って映画産業が斜陽をむかえると、母体である日活の経営も悪化。昭和44年に三菱地所に売却され、新たに「日比谷パークビルジング」と改名して再出発した。

そんなビルがついに取り壊し決定となり、ほぼすべてのテナントが退去を完了したのは、今から4年前の平成15(2003)年9月のことだった。実際には一部のテナントが退去を拒否したため、このビルはあと数ヶ月間の命を永らえることになるのだけど、この年の9月7日の夜に撮影した一連の画像は、そんなビルの最後の表情を多少なりともとらえていると思う。
昭和20年代~40年代の典型的オフィスビルへ、いざ潜入!
日比谷パークビル
子供を連れて上野公園に遊びに行った帰りに立ち寄った。窓から明かりが漏れていないビルというのも不気味なもの。
日比谷パークビルエントランス
今にもスーダラ社員の植木等が踊りながら飛び出してきそうな1Fエントランスロビー。
日比谷パークビル フロア
明日はどっちだ?
日比谷パークビル メールシュート
すでに使用禁止となったメールシュート。各フロアに設置されたメールシュートに郵便物を投函すると、すべて地下にある共同郵便函に落ちてくるというわけ。定形外郵便は投函しないで下さい。途中で詰まってしまいますので。
日比谷パークビル 階段入口
階段入口。日比谷アーケード(地下商店街)へはコチラをどうぞ。
日比谷パークビルB1フロア図
B1のフロア図。窮屈な間取りだ。
日比谷パークビル謎のステンドプラスチック
診療所か何かの仕切。日比谷パークビル時代(昭和40年代)のものだと思うけど。なんとも不思議な”ステンドプラスチック”。
日比谷パークビル 消火栓
今では珍しい明朝体の「消火栓」。
日比谷パークビル地下1階
曲線が美しい廊下。でもテナントは什器のレイアウトをしにくかったろうな。
日比谷パークビル地下2階への階段
地下2階へ続く小階段。次女の足が.....
日比谷パークビル商店街
地下2階。これが伝説の"日比谷アーケード(商店街)"。
日比谷パークビル商店街
ようこそ!日比谷パークビル商店街へ!
マトバ真珠宝石店
かつてマリリンモンローも訪れたマトバ真珠宝石店。すでに商品の撤去が進んでいた。
マトバ真珠宝石店
もう、お取り扱いしている商品はございません。
日比谷パークビル 時計店
アーケードの一角にいまだ退去していない時計店があった。
日比谷パークビル 時計店
「シーマクロック all 19,800円」とあった。
日比谷パークビル 時計店
このキッチュな猫の置物は84,200円。東郷青児の絵画と一緒に玄関に飾れば、ホラあなたも昭和30~40年代へとタイムスリップ。
日比谷パークビル 時計店
20年以上前のオメガのディスプレイ。時計店なのに、時が止まっているとは、これいかに。
日比谷パークビル
さようなら、もう来ないよ。
日比谷パークビル
最後に子供たちと記念撮影。
今でも子供たちはこのビルのことをよく覚えている。
きっとビルそのものよりも、「取り壊されようとするビル」の写真を熱心に撮影する父の奇妙な行動が印象に残っているのだろう。

参考サイト:
tansei.net日比谷パークビル建て替え(ここよりはるかに画像が的確です)
吉見吉昭のホームページ日比谷日活国際会館の潜函工事(1)、同(2)
三菱地所設計ガーゴイルのいる街