玉音放送原盤公開で思ったいくつかの事

歴史の切れ端

「あの時、どこにいましたか?」
「あの時、どんなことを感じましたか?」という質問を投げかけることのできる「共通体験」など、そうあるものじゃない。
振り返ると2001年「9.11全米テロ」や2011年「3.11東日本大震災」などが思い浮かぶけど、長年生きてきても本当に数えるほどしかない。

ここ100年の日本の歴史の中で最大の「共通体験」といえは、何と言っても1945年8月15日の「玉音放送」だろう。
この日未明、昭和天皇は宮内省において「終戦の勅語」を自らマイクの前で読み上げてアセテート盤に録音した。録音は2テイク行われた。もちろんテープレコーダーなどない時代の話だ。そして正午からラジオによってこの録音盤が放送され、全国のみならず外地の兵隊に至るまで「敗戦」を知ることになった。衝撃的な「共通体験」だ。

もちろん管理人はリアルタイムでこれを体験はしていない。だけどいとも簡単に共有はできる。いや「できた」と書いた方が正しいだろう。今からふた昔ほど前には、この「共通体験」を身内でも居酒屋の席上でも熱く語る人がいくらでもいたからだ。

NHK放送博物館にある玉音盤
(NHK放送博物館にある玉音盤。おそらく「テイク2」盤。2003年撮影。「窒素ガスを封入したシールドケースに入れ、紫外・赤外線をカットのガラスを使い常時4度を保つ恒温ケースで展示しています」)

僕の親父は岡山県玉島富田の疎開先の親戚の家で玉音放送を聞いた。当時親父は10歳だった。
「何言ってんだかさっぱりわからないのだけど、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び(※)というくだりで、ああ戦争に負けたんだな、と気づいた。放送が終わってから叔父さんから詳しい説明を受けた。あまりのことに、ふてくされて木に登ってボーッとしていた」

興味深いのは「日本の敗戦」という歴史の大転換点が「玉音放送」「玉音盤」という唯物的なところへ帰結する点だろう。
一枚のレコード盤、一回の放送がこれほど社会に影響と余韻を与えた現象を、他に僕は知らない。

さて、終戦70年となる8月1日、宮内庁が保管する玉音盤(おそらく「テイク1」)がデジタルリマスター化され、その音声ファイルが宮内庁公式サイトで公開された。宮内庁→「当庁が管理する先の大戦関係の資料の公表について(戦後70年に当たって)」がそれだ。あわせて公開された「御文庫」の画像も卒倒ものなのだけど「玉音盤」の音質の良さには「生きてて良かった」とマジ思った。

今まで我々が聞いてきた「玉音放送」は「複製盤」とか「複写盤」と言われるもので、GHQのために戦後の劣悪な録音環境の中でコピーされたもののさらにコピー盤となる。映画「東京裁判」や様々な終戦ドラマなどで印象的に使われてきたこの音は、ノイズの入り混じる中、もこもこと「こもったような感じ」で昭和天皇の声が聞こえる。当時ラジオから流れてきたのが、まさにこんな感じの音だったに違いない。

いっぽうこのたび公開された宮内庁原盤は、昭和天皇の声が明瞭だ。間近で本当に語っているように聞こえる、というのは大げさか。
とにかく両者を聴き比べると、その音質の差は明らかだった。

僕はもう12年以上にわたって、歴史的な音源、歴史に残しておきたい音源、バカバカしい音源を時系列的に整理するという「音の万葉集みたいなもの」を編纂(?)している。
「ニッポノホン」と自分で呼んでいるこの音源集は、安政6(1860)年から始まって2015年現在も進行中だ。所蔵曲数は9900曲を越えた。そうした中では歴史的音源をデジタル処理したりすることも多い。長年これをやっていると、何となく音声の波形で音質の良し悪しが判断できるようになる。音質の良いものは波形のギザギザが鮮明で、音質の悪いものは波形が丸まった形になる。

そこで玉音放送の「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ」の部分を画像にして比較してみた。
玉音放送複写盤
(玉音放送の複写盤。今まで一般的に公開されてきたもの)
玉音放送(宮内庁原盤)
(このたび公開された宮内庁保管の原盤)

おお!ギザギザしてるぞ、ギザギザしてるぞ!

そんなわけで「ニッポノホン 1945 Vol.03」に新たに音源が加わりました。
ニッポノホン
ヘッドホンで聞いて悦にひたっています。

最後に真面目な事を書くけど、国土が焼き払われ、家も失い、食べるものも不足しつつあり、肉親を殺され、挙句の果てに原爆まで落とされ…..っていう危機的状況に追い込まれた中で生まれた音なんだよね、これ。だから時代の精神が痛いほど悲しいほど伝わってくる。

昨今、頭の中だけの論理や精神論や法律論ならばいくらでも言える書ける論じられるけど、こんな危機的状況に追い込まれても悔いなくそれを言い続ける自信があるならば、いくらでも言えばいい。でなきゃ脳内だけの小賢しい屁理屈は避けるべきだろう。

この音は、その強烈な後悔の産物なのであるから。

(※)詔勅原文では「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」