おしゃべりカーティス

上大岡的音楽生活

「ヒップホップ(Hip-Hop)」と呼ばれるジャンルがある。
今から20年前ぐらいまでは「ラップ(Rap)」と呼ばれていたわけだけど...おっとジャンルの厳密な定義の話はよそでやってね...まあそんな「ラップ」も30年前にはこの国では実に微妙な日本語に料理されていた。

【おしゃべりカーティス(パートⅠ -The Breaks part1- (1980)】

「おしゃべり?」

1980年、横浜から引っ越して間もない中学3年生の夏休み、僕はこのレコードを市川市行徳の「マウンテン」というレコード店で「暴発的に」買った。

当時の僕は慣れない街に引っ越したことで精神的にかなり荒んていた。それがなんでこのレコードの購入につながるのかうまく説明できないのだけど、たまたま店で流れていた音楽が「あまりにもオトナ」だったので店の親父さんに曲名を尋ねて衝動的....いや暴発的に買ったのだ。

(70’s ファンク&ソウルの匂いがしなくもないけど、明らかにそれとは違う音楽だと思う)

レーベルはマーキュリー。
日本での発売元は日本フォノグラム(現ユニバーサル・ミュージック)となっている。
規格番号は7PP-7 で値段は700円だった。

残念なことに、このシングルは適当に聞いた後はタンスの肥やしとなった。要するに当時の僕にはオトナすぎたんだろうと思う。現実にはさだまさしやThe Beatlesのレコードを友人と貸し借りしていた年頃だった。もし深く理解できていたら、もっとチェキラな人間になっていたと思う。

このレコードの歴史的重要性について教わったのは17年も後の話。
CDショップにいた頃、ブラック・ミュージックに詳しいアルバイトのM君に「それKurtis Blowの"Breaks"っていう曲なんですが、Hip-Hopで世界で最初に大ヒットした(注:全米で100万枚売れたらしい)曲ですよ」と教えてもらったのだ。

レコードについていたカードに書かれていたのがコレ。

今年’80年も、後半に向け日本のディスコ・シーンも少しずつ変わってきている。全米の動向を見ていると、ニュー・ウエイブに変わってソウル・ポップ及びソウル系のサウンドに人気が集まって来てます。日本も同様に少しずつ変化して来ている。中でもラップ・サウンド(おしゃべり)は、全米でも数十枚も発売され人気は最高潮に達している。日本では79年のラッパーズ・デイライトがすでにヒットしている。ここに紹介する「カーティス・ブロウ」のおしゃべりカーティスは全米で発売されたラップ・サウンドの決定盤と言っても過言ではない。その素晴らしさは貴方がこの曲を聞けば、同感してくれると思う。こぎげんなこの曲を歌っているカーティス・ブロウについて、簡単にバイオを紹介しよう。1959年8月9日ハーレムにて生まれる。(中略)1976年12月ハーレム125丁目のチャールズ・ギャラリーでラッパーとしてデビュー(中略)まだシンガーとしてのキャリアは浅いが、彼のセンスは素晴らしく目を見張るものがあり今後の活躍に注目して欲しい。NOWなフィーリングを持ってる貴方には是非一度聞いて欲しい!これしかない!買うしかない!(JSDO 小笠原貢)

なんだか言い回しが昔なんだけど、Hip-Hop史の授業で最初に教わるSugar Hill Gangの"Raper’s delight"(Hip-Hopの最初のヒット曲)にもしっかり言及している。



(イントロのベースラインを聞いてQueenの「Another One Bites the Dust」を思い出した人は正解だと思う)

カード下段には「小林克也の"Break"教室」というのがあって、色々書いてあるんだけど一部抜粋。

この曲のラップでbreakにも色々あって、なんてしゃべっているけど、一番近い意味は「きっかけ」だろう。そしてラップの決めが、"break it up"と"break down"。日本語に近い言葉をさがすのは難しいけど、「がんばって!」と「力を抜いて!」ぐらいの感じだ。昔の"get up"や"get down"に似てるよね。途中で「両手を上げて、左右に振ろうよ!」というのがあり、これが"break"というニューダンスのやり方みたい。

僕が高校1年生の時、トーキング・ヘッズの別プロジェクトトム・トム・クラブの「おしゃべり魔女」がヒットしている。白人ラップのトムトムクラブは「おしゃべりカーティス」に比べればずっとわかりやすかった。日本で「ラップ」という言葉を身近なものにしていったのはトム・トム・クラブだったと思う。

(トム・トム・クラブ「おしゃべり魔女」)

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