御茶ノ水研究会紀要(3)
聖橋

歴史の切れ端

御茶ノ水研究会紀要 (2) -秋葉原方面の過去と今-」の続き。

【ここまでのあらすじ】
1978年、当時中学校1年生だった僕とH君は、東京観光気分で御茶の水を訪れました。
まずは神田明神へ行こうと聖橋を渡った僕は、父から借りたカメラで御茶ノ水橋方面、そして秋葉原方面を撮影したのです。
何も考えずに朝のさわやかな空気の中で撮影したこれらの写真が、今では「それなりの歴史の記録」になってしまったことに、図らずも(少なくとも)32年以上も生きてしまったことを痛感する今日このごろです。

【本文】
さて、僕とH君は神田明神へと行き、そこで祭太鼓を叩く方々をひとしきり眺めていたのを覚えている。
そして神保町に向かうべく御茶ノ水橋を渡った際に撮影したのがこの写真だ(画像クリックで拡大)。
聖橋(1978年)
聖橋(1978)
聖橋(2010年)
(2010)

「それほど景観に大きな変化がない」と感じるのが第一印象ではないだろうか。
実はそうではない。一度大きく変化しながら元に戻ったのだ。
ウィキペディアに、数年前に撮影された「聖橋」の画像があった。
見ればわかるとおり、聖橋を圧迫するかのように白いビルが屹立と聳えている。

我々がこの写真を撮影した5年後の1983年のこと。「さぁこれからバブルの時代だぞ!」と言わんばかりに聖橋のたもとに20階建のビルが竣工した。通称「日立ビル」と呼ばれていたこのビルの正式名称は「日立御茶ノ水ビル」。

このビルが日立の本社として使用されたのはわずか23年足らずだった。
2006年には本社は移転、2008年からビルの解体工事が始まり、半年でビルは地上から消滅した。
わずか25年の命だった。お向かいのニコライ堂が築120年になることを考えたら、なんともバカバカしい話だった(もっとも10年ちょっとで解体された磯子の横浜プリンスホテルなんてもっとバカバカしいのだが)。
そんなビルだったけど、地下駐車場が界隈では最も安かったこと、近隣にあった某大学では「ちょっと日立に面接に行ってくる」が合言葉だったことが印象に残っている。

まあとにかく、一時的ではあるけどそしてお茶の水の空の広さが戻ってきた。そして聖橋もスッキリとした表情をしている。
そんな聖橋を、僕は東京で最も美しい橋のひとつだと思っている。

だからもう一枚画像を紹介する。
僕の好きなサイトである土木学会付属土木図書館さんのサイトから許可を得て、転載させて頂いた。

聖橋(1927年頃 出典元および出典許可:土木学会図書館戦前土木絵葉書ライブラリ)

定点観測写真の試みについては「京都、円通寺裏定点画像」を、
画像拡大の試みについては「最も新しき大大阪名所絵葉書(3 難波橋編)」を、
画像とその情報に関する試みについては「『ベスト オブ くるり / TOWER OF MUSIC LOVER』全画像解説」などもご覧あれ。

歴史の切れ端