秋山紀行、北越雪譜と鈴木牧之

歴史の切れ端

またもや豪雪にちなんだ話。でも今日は真面目な話だったりする。

1月11日現在、新潟県の津南町と長野県の栄村を結ぶ国道405号は通行止めになっている。おかげでいくつもの集落が孤立しているのはご存知のとおり。陸上自衛隊が除雪作業を開始し、集落へは空からヘリコプターなどによる救援物資が届けられているが、国道復旧の目処は13日以降になるという。物資が遮断されており、集落はご老人ばかりだと聞いている。早く復旧することを祈っている。

さて、現在孤立しているいくつもの集落の総称を秋山郷という。この秋山郷に関する古い話をしよう。

今から178年前の文政11年(1828年)9月、越後の塩沢(H17年10月より南魚沼市塩沢町)に住む文人の鈴木牧之(すずきぼくし)は、桶屋の団蔵の案内を得て、この秋山の地を訪れた。秋山郷はその当時から山奥の秘境として越後(新潟)の人々には知られていた、そうした土地ならではの生活の違い、風習の違いが、その秘境を通りすぎた者によって伝えられ、越後塩沢あたりでも充分にネタ話になるほどだったのだ。

牧之はそうした旅人から伝えられた話に興味を持ち、友人である戯作者の十辺舎一九(東海道中膝栗毛の作者)のすすめもあり、秋山行きを思い立った。その時の行程も記録されている。昨日のブログに書いた国道353号線とほぼ同じ道筋を通ったようだ。ただし僕らの車が十二峠を越えて、さらに国道沿いに北西の方向へと向かったのに対して、牧之一行は峠の先からは名もなき道を通って、真西の田代方面へと抜けたようだ(たしかにこの道は津南のホテルへゆくにも近道ではあったが、先週の時は怖すぎてとても通る勇気はなかった)。

牧之は団蔵とともに見玉、逆巻、清水川原、結東、前倉、大赤沢、小赤沢、上の原、屋敷、和山、切明といった秋山郷の集落を訪れている(今回の一連のニュースにもこれらの地名が登場していますね)。こうして辿った7泊8日の行程を彼は「秋山紀行」という一冊に著した。
秋山紀行
ここで彼は秋山に住む人たちが持つ独特の風俗や習慣、自然の景観を好奇心いっぱいに書き記している。

●秋山の人は里以外の人間とは婚姻を結ばない、もし秋山以外の人たちと婚姻した場合、親子の縁を切り、二度と里へは戻れない。
●食事は粟(あわ)、稗(ひえ)、栃の実(とちのみ)などを常としている。近年になってようやく稲作をはじめつつある。
●人が死ぬと14歳以下の子供だけが集まって夜通し「ナマナマ(南無か?)」と唱え、決して大人は参加しない。
●人々は純粋で正直そのもので、泥棒もいなければ争いもなく、酒も博打も知らない。
●行くことを「イカズ」、来ることを「コズ」、飲むことを「ノマズ」、食うことを「クワズ」という。

そのように面白く記す牧之の筆は、だからといって決して秋山の人たちを笑いものにしようとしているのではなかった。この土地の人たちに愛情を感じ、感じながらも冷静な筆致でひたすら学術的な観察を続けていることがわかる。そこには塩沢近辺では失われてしまった古いしきたりが残っていた。何よりも牧之は秋山郷に住んでいる純朴な人たちの心に惚れてしまったのだろうと思う。

わけあって「秋山紀行」は彼の生前に刊行されることはなかった。出版のキーマンだった十辺舎一九が急死したからだ。しかし現在伝えられている同書は、牧之の観察的な姿勢と冷静な筆致によって、「日本最古のフィールドワーク」「日本民俗学の原点」といわれている。

「秋山紀行」こそ日の目を見ることはなかったが、その一方で牧之には自分たちが暮らしている雪国の暮らしを江戸の人たちに正確に伝えたいという試みを若い頃から続けていた。断片的に綴られてきた一連の文章は困難の末、秋山行きの10年後の天保8年(1837)に「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」として結実する。実に出版を意図してから40年目のことだった。
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●実家の両親に生まれたばかりの我が子を見せようと出かけた夫婦が、突如として発生した吹雪に遭難し、凍死する。夫婦の遺体の懐に抱かれた赤子だけが生き残ってしまう「雪吹(ふぶき)」。
●冬の積雪量が54メートルを越えたという「雪の堆量」
●ホワイトアウトについて書いた「雪道」
●表層雪崩の恐怖を書いた「ほうら」
●山中でUMA(未確認生物)に荷物を背負ってもらった「異獣」
●幽霊の髪の毛を剃髪する「雪中の幽霊」
●雪道で道に迷ったきこりを熊が助けるという「熊人を助(たすく)」
●民家の除雪作業を書いた「雪を掃う」
●命がけの鮭漁を描いた「漁夫の溺死」
●初冬と初春にのみ発生する洪水を描いた「雪中の洪水」
●秋山紀行のダイジェスト版ともいえる「秋山の古風」

雪国の想像を絶するような厳しい自然と、その中で暮らす人々のエピソードを綴ったこの本は、たちまちベストセラーとなった。大勢の江戸っ子がまだ見ぬ遠い雪国へのあこがれを抱きながら「北越雪譜」を読み漁ったのだった。

「北越雪譜」という本を高校の古典の授業で習うこともないし、受験に登場することもない(と思う)。
しかしこの本は200年近く前の人たちが雪とどのように戦い、雪とどのように暮らしてきたかを詳細に記した書として、今なお地元の人のみならず、幅広い好事家たちに愛されている。長野オリンピックの時、国土庁が海外のプレス向けに発行したパンフレット「Guidebook For Living in Japanese Snow Country」にはサブタイトルとして「From The World of “Hokuetu Seppu(北越雪譜の世界より)"とつけられたそうだ。
塩沢町商工会サイトの画像を参照のこと

P.S.「北越雪譜」は岩波書店より文庫本やワイド版が出ています。これは上大岡の大きな書店で簡単に入手可能ですが、江戸時代の文語文で書かれています。現代語訳を読みたい方は新潟日報社から出版されている「北越雪譜物語」をおすすめします。
いっぽう「秋山紀行」は恒文社より現代語訳が出版されています。

なお鈴木牧之記念館は塩沢町にあります。

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