日本における最古の録音 その1
明治10(1877)年12月6日、エジソンは「音を録音し、かつ再生できる機械」である「フォノグラフ」の最初の実験に成功した。彼自身が録音した「メリーさんの羊」の歌声は、周囲が驚くほど(いや本人ですら驚くほど)ハッキリと、その異様な機械から流れ出てきたのだった。
日本でフォノグラフが最初に紹介されたのは明治11(1878)年7月26日のことだった。中村正直(敬宇)が啓蒙雑誌として出版していた「同人社文学雑誌」の第26号に「蘇言機ノ事」というタイトルで紹介されている。これは神津専三郎が「ハーパース・ウィークリー」というアメリカの新聞の一節を紹介したものだった。フォノグラフを言葉を蘇らせる機械すなわち「蘇言機」と訳したのは留学経験もある神津自身だったのだろう。後に神津は音楽教育への唱歌の導入を推進した人物でもある。
そして明治11(1878)年11月16日、イギリス人で東京大学理学部機械工学の教授であったジェイムス・アルフレッド・ユーイング(1955-1935)が、理学部の実験室でフォノグラフの実験を行っている。
ユーイングは10月29日にイギリスから日本へと着任したばかりだった。彼が最先端技術の土産物として、フォノグラフを選んだことは想像に難くない。
明治11年当時の東京大学には、工学専攻の学生はわずか19人しかいなかった。
おそらくこの生徒たちを相手に行った実験、これこそが文献に残るものとしては最古であり、日本における最古の録音ということになる。
フォノグラフの原理は至って簡単だ。ハンドルで回転する円筒に錫の箔を貼り付け、円筒に対して直角に音によって振動するように刃を取り付ける。円筒は回転するにつれて、横へとスライドするようになっている。振動によって錫箔に刻まれた傷は、そのまま音の記録となる。
さらにユーイングは翌明治12(1879)年3月28日夜、銀座木挽町(現在の地下鉄東銀座駅付近)にあった東京商法会議所(現商工会議所)において、フォノグラフの公開実験を行っている。
当時の新聞にこのことが広く報道されていることからも、その反響が凄かったことがうかがい知れる。好奇心旺盛な数多くの日本人が、ここへ集まったのだろう。実験に立ち会った東京日日新聞社長の福地桜痴が「このような機械ができると新聞屋は困ってしまう」とフォノグラフに録音したと、当時の新聞記事にはある。
残念ながらこうした一連の録音は、もはや現存していない。しかし、録音再生に使用したフォノグラフだけが、実は現存している。昭和33年になって東京国立科学博物館で発見されたのだ。僕はここへ行った際、現物が見れるのかどうか尋ねてみたのだが、その時は「展示はせずに倉庫にしまってある」というつれない返事だった。当時は拡張工事中だったので、もしかしたら今後お目にかかれるかもしれない。
ユーイングはその後、東京大学で物理学の講義も行い、磁性体の研究のかたわら「ユーイング式水平振子」と呼ばれる地震計を考案し、日本の地震観測学の草分け的存在にもなった。
考えてみれば、地震の振動を記録するという装置は、原理的には蓄音機と似ているところがある(蓄音機は声によって振動する針で対象を刻むことで音を記録してゆく)。もしかしてユーイングが地震計を考案する過程で、エジソンの蓄音機が念頭にあったのではないかと、思わずにはいられない。
明治16(1983)年、イギリスに帰国したユーイングは、ケンブリッジ大学で教鞭を取るかたわら、船の蒸気タービンの発明に取り組み、明治44(1911)年にイギリス国王ジョージ5世から「ナイト」の称号を授かる。さらに第一次世界大戦時には、海軍諜報部のブレインとしてドイツ海軍の暗号解読などでも活躍していたようである。
そう、とにかく新しいモノ好きのマルチ人間だったわけだ。
その後ユーイングはケンブリッジ大学の学長などを歴任し、昭和10(1935)年に80歳で亡くなった。
昭和10年当時の日本はすでに世界でも有数の音楽市場だったが、そのいっぽうで急激に拡大する軍拡路線によりイギリスとの関係は深刻化しつつあった。
物見高くフォノグラフを眺めていた55年前の極東の人たちを思い出すユーイングの心境はどのようなものだったのだろうか。
最後に彼の言葉を引用しよう。
死の2年前に大英科学振興協会会長だった彼が遺した言葉だ。
「科学はたしかに人類に物質的な幸福をもたらした。
だが、倫理の進歩は機械の進歩に伴わず、
あまりにも豊富な物質的恩恵を処理できずに
人類はとまどい、自信を失い、不安になっている。
引き返すことはできない。どう進むべきであろうか。」
太平洋戦争後に「日本無罪論」を説いたインドのパル判事にも引用されたことのある有名な言葉だ。
今やインターネットで我々は音楽ですら簡単に入手できる時代となった。ユーイングのこの警鐘があまりにも的を得ていることに、驚かされずにはいられない。
9月27日追記
Y.Shimizuさまからの情報によりますと、国立科学博物館の「蘇言機」は昨年(2004年3月)に重要文化財に指定されたとのこと。さらに関連した2つのURLを教えて頂いたので、紹介します。
文化庁のページではこのように指定されていました。
国宝・重要文化財新指定(美術工芸品関係)
文化審議会答申
平成16年3月19日
文化庁重要文化財 歴史資料の部
蘇言機(そごんき)(錫箔蓄音機(すずはくちくおんき))英国製 一台
大きさ:高22.7cm 幅45.8cm 奥行き30.7cm(木製台共)
所有者:独立行政法人国立科学博物館
我が国に初めて伝来した蓄音機である。東京大学に招聘されたユーイング
(J.A.Ewing1855~1935)がエジソンの蓄音機の発明を聞き及び英国で製作し、日本で組立・調整後、明治十一年十一月十六日、東京大学理学部の一橋実験室で録音・再生の実験を行った。これは世界で二例目であるとともに日本で最初に音が録音された機器として録音技術史・レコード文化史上に貴重である。
(19世紀)
もうひとつは科学博物館のメールマガジンです。
蘇言機(錫箔蓄音機)は、日本に初めて伝わった蓄音機で、この装置により
我が国で最初に音が録音、再生されました。1877年に東京大学のお雇い外国
人J.A.ユーイングが英国から持ち込み、1879年に浅草で公開実験が行われま
した。この時、東京日々新聞社社長、福地桜痴が「コンナ機械ガデキルト新
聞屋ハ困ル」と吹き込み、再生されたという逸話が残っています。その後、
本装置は当館に寄贈され、現在は理工学研究部のもとで管理されています。なお、当館の所蔵資料が重要文化財の指定を受けたのは、渋川春海作天球
儀と地球儀、トロートン社製8インチ屈折赤道儀、ミルン水平振子地震計
に続きこれで4件目です。
Y.Shimizuさま、いつものことながら、貴重なご教示ありがとうございました!
11月5日の録音史に関するイベントを楽しみにしています。
ディスカッション
コメント一覧
Y.SHIMIZUです。
本当に間際のご案内となり申し訳ありませんが、
以下の要領で、公開シンポジウム
「百年前の音を探し、甦らせ、聴く」を開催いたします。
ご来臨いただければ幸いです。
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日本女子大学学術交流企画 公開シンポジウム
「百年前の音を探し、甦らせ、聴く」
最古の日本語録音の在り処を求め、国内外を探し回る。
最新の再生機を創り、割れたロウ管から音を甦らせる。
そして、1900年パリ万博での新橋芸者衆の珍体験談や
いろは、都都逸、声色など、百年前の日本人の声を聴く。
日 時: 2005年11月5日(土) 午前10時30分~午後5時
会 場: 日本女子大学 新泉山館 大会議室
〈参加自由、参加費無料、事前申し込み不要です。〉
プログラム
午前の部10:30-12:00 研究調査報告
10:30- 開会挨拶および案内 清水康行(日本女子大学)
10:45- 1900-1901年に欧州で録音された日本語音声資料群
清水康行(日本女子大学)
11:20- 日本全国博物館等でのロウ管等初期録音資料所蔵状況
吉良芳恵・猪狩眞弓(日本女子大学)
午後の部13:30-17:00 国際シンポジウム
13:30- 挨 拶 後藤祥子(日本女子大学 学長)
13:45- 携帯型ロウ管再生装置デモンストレーション
伊福部達(東京大学)
コメント[ドイツ語、通訳付き]
フランツ・レヒライトナー(録音アルヒーフ、ウィーン)
14:45- パリ民族音楽学研究所の録音コレクション紹介
[フランス語、通訳付き]
プリビスラフ・ピトエフ(民族音楽学研究所、パリ)
コメント[ドイツ語、通訳付き]
ゲルダ・レヒライトナー(録音アルヒーフ、ウィーン)
16:15- 現存最古1900年パリ吹込み日本語録音の全てを聴く
清水康行・児玉竜一(日本女子大学)
問い合わせ先 〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
日本女子大学文学部日本文学科 清水研究室
電話/FAX 03-5981-3532
E-mail shimizu@fc.jwu.ac.jp
主催・日本女子大学文学部・大学院文学研究科
・文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究
「我が国の科学技術黎明期資料の体系化に関する
調査研究」(「江戸のモノづくり」)録音資料研究班
・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 GICAS
(アジア書字コーパスに 基づく文字情報学の創成COE
拠点)PHONARC
お待ちしておりました!
参加させて頂きますのでよろしくお願い致します。