カバーすることの意味

上大岡的音楽生活

まだ残業中なんで、ちょっと書いてみる。
「だったら早く帰れ」はなし。

いまなぜかBGMは小坂明子の「あなた」
1973年のヤマハポプコンから生まれて大ヒットした曲だ。
歌詞はこちら(リンク先「うたマップ」)を参照あれ。

まあ読んでのとおり、失恋した女の子が「あなたと過ごすはずだった未来」を乙女チックに夢見た歌だ。16歳の小坂明子が歌ったからこそ、その想いは純粋だった。

ところがどっこい2008年に「昭和の捨て犬」倉橋ヨエコがカバーした際、この曲の持つ意味は180度変わってしまった。

ヨエコといえば、「男に捨てられてもストーカー的にすがりついてゆくような女性」。そんな楽曲をさんざん生み出したヨエコがこの曲を歌った瞬間、この曲が本来持っていた「夢」は単なる「捨てられた女の妄想」へと変質したのだった。

歌い手が本来持っている音楽性だけでオリジナルとカバーの意味合いが全く変わってしまうという珍しい例だった。

「意味合いが変わる」という意味では、ピストルズのシド・ビシャスが歌った「My Way」なんかもそうだろう。最近auのCMで流れている曲だ。

オリジナルはフランク・シナトラ。高級ホテルのラウンジが似合いそうな名曲を、シドは天から奈落の底へと引きずりおろしてしまった。よくもまあ著作権者が許したもんだと思う。

(ピストルズの映画"Rock’n Roll Swindle"より)

こういうの聞いていると、歌い手のキャラが曲そのものを凌駕する例ってあるんだなぁと思う。

カバーについてはまだまだネタはあるけど、仕事に戻る。

ところで、この雨の中、原付でどうやって帰ればいいのだろう?

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