圏央道の開通と寺山修司の墓参り

ぶうらぶら

高速道路が開通し、今まで足を運びにくかった遠くの世界へ簡単に行けるようになる。そういう事に対して諸手をあげて喜んでしまう。

便利になったことへの単純な喜びもあるし、活動範囲が広がることへのワクワク感もある。何よりも自分が「道マニア」というのがある。開通したばかりの美しいアスファルトの道も、新道が完成して寂れてしまった旧道も、峠道も、抜け道の裏技も自分にとっては魅力的な存在だ。
圏央道
(圏央道開通区間。アスファルトがピカピカ)

だから6月28日の圏央道(相模原愛川IC~高尾山IC間)の開通は、涙が出るぐらい嬉しい「事件」だった。これによって東名高速、中央道、関越道が一本の高速によって結ばれた。僕の住んでいる横浜からだと、もう都心や16号を通らなくても関越道や中央道へと抜けられるようになったし、渋滞さえなければ2~3時間で長野でも群馬でも行けるようになった。
圏央道
(圏央道外回り小倉山トンネル。工期を遅らせる原因となった曰くつきのトンネル)

神奈川という県は横軸…つまり東京や千葉、そして静岡方面への道は比較的整備されているけど、縦軸….山梨や埼玉や群馬方面への道に乏しかった。あの手この手の「裏技」を使っての移動が必要だった。たとえば山梨や長野方面へ行くのなら保土ヶ谷バイパスや国道16号を使わずに、東名御殿場から裏道で東富士五湖道路と中央道富士吉田線で抜けた方が早いとか、都心を抜けて関越道へ行くのなら環八よりも目黒通り経由で環七通りを使った方が安定して早い、という具合だ。それを圏央道の開通はずっと単純なものにしてくれた。
圏央道高尾山IC
(圏央道高尾山IC)
まあ、そんな事を喜んでいられるのも、最初の一年ぐらいなんだろう。
交通量が増えれば、片側2車線足らずの圏央道ではさばき切れるとは思えない。海老名JCTも八王子JCT(「湯の花トンネル列車銃撃事件」の現場はこの直下にある)は合流渋滞、小倉山トンネルはサグ渋滞のメッカとなるだろう。

まあ、いいや…..

7月22日のこと。圏央道を使って行ったのは寺山修司のお墓。
寺山修司
いやいや「僕が行った」というよりは「長女と一緒に行った」というのが正しいかも。娘は「ポケットに名言を」と出会い「絶望先生」というアニメ(あるいはそれを制作した会社?)を介してその世界観に引きずり込まれたんだそうだ。
寺山修司
そんな僕も高校生の頃に寺山修司にハマっている。彼の美意識はぶっ飛んでいたし様々なメディアで表現ができることに驚嘆を感じていた。高校三年の5月に彼は亡くなってしまったけど、今でもその気持ちは変わらない。このBlogでは何度か彼については触れている。僕という人間を構成する成分に「寺山修司」は間違いなく入っているはずだ。

だからと言って「親」としては積極的に子供に薦められるコンテンツか?といえばそうでもない(笑)。
だから娘が勝手にハマりだしたことに関しては「DNA」なんだと諦めるしかない。

場所は高尾霊園。圏央道の高雄山ICから15分ぐらいのところだ。
山と山に挟まれた谷あい、西向きの斜面に背を向けて、そのお墓はあった。

「こんなところにいらっしゃったんですね」

と思った。僕は寺山修司にお墓があるなんて想像だにしなかった。今では彼は宇宙かクラウドの上の方にいて、時折「言葉の雨」を降らせてくるような、そんな感じに思っていたからだ。

墓誌にはこうあった。
寺山修司
「寺山家先祖代々有縁無縁諸精霊位
観昭院法雲道徹居士 昭和二十年九月三日 寺山八郎
天游光院法帰修映居士 昭和五十八年五月四日 寺山修司
観樹院妙稟鏡容大姉 平成三年十二月二十六日 寺山はつ」

寺山八郎は彼の父。
息子によれば「特高警察の刑事だった」「"マルクス"と聞いただけで怒り出した」「妻と子供を捨てた」「アル中で亡くなった」なんて書かれているけど、実際は警察官だった。青森県警経済保安課に所属していた時期もあるそうなので、内務省直属で思想統制という性格の強かった特高とは関係がないだろう。やがてこの人は召集され、セレベス島でアメーバ赤痢のため戦病死している。

寺山本人は自分の出生について「夜行列車の中で生まれたから、自分には故郷がない」なんて書いていたけど、お墓がこうしてあるように出生地も判明している。
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寺山ハツさんは彼の母。息子にはさんざんな書かれようだった。
「男と駆け落ちした」と書く一方で「溺愛され、束縛された」と書かれている。寺山は自分の母親を様々な形で殺そうとしていたし、その一方で殺されてもいる(もちろん精神的に)。寺山が亡くなって一か月後ぐらいだったろうか、新聞に彼女のインタビューが掲載されていたのを覚えている。「修ちゃんは私の事をさんざん酷いように書いていたけど、そんな事実は全くなかった」。それを読んで「そんな事実はあったんだな」と思うぐらい、親子の壮絶な関係を感じずにはいられなかった。
寺山修司の墓
僕はハツさんとは違って女の子が二人だから、いずれ親元から消えてしまうのはハナからわかっている(いや巣立ってくれないと困る)。もともと「見返り」なんてものは求めていない。いや求めないように覚悟して育ててきた。今はこうやって同じ価値観を共有できるのが楽しいし、親父に「寺山修司の墓に連れていってもらった」ことを、どこかで思い出してくれたら嬉しいと思うぐらいだ。
寺山修司
三人が一緒に眠っているお墓がちょっとは綺麗になったところで帰ることにした。帰り際にスマホに入っている沢山の音源の中から寺山自身が朗読する短歌(「田園に死す」サウンドトラック収録)を墓前で流してみた。

ほどかれて少女の髪に結ばれし葬儀の花の花言葉かな
とんびの子、泣けよ下北鐘叩き、姨捨以前の母眠らしむ
かくれんぼ、鬼のままにて老いたれば、誰を捜しに来る村祭
亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり

東北訛りのボソボソとした声が高尾の谷あいに響き渡った。

P.S.寺山の墓を探している時に同墓地内で見つけました。
忌野清志郎
(忌野清志郎のお墓)

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