「僕」は生きている -宮城篤さんのこと-

管理人のたわごと

1年以上の間、教室の片隅にひとつの募金箱がおかれていた。
「宮城篤さんを救う会」の募金箱だ。

最初は箱型で中身が見えない募金箱だった。一見それともわからない。
教室はクローズドな空間だから、むしろ中身のお金が見えた方がいい。
そこで「おーいお茶2L」ペットボトルの空き容器を加工して、簡易募金箱にしたら、どんどんお金が入るようになった。
小学生の小さな生徒さんは、レッスンの度に10円を入れていってくれた。

宮城篤さん、私の友人で光り輝くデザイナー「ふじえもん」のそのまた友人だ。
拘束型心筋症という50万人に一人という難病を抱えてきた。

「拘束型心筋症」….Wikipediaリンク先の記事では意味がさっぱりわからない。
難病情報センター」のサイトにはわかりやすく書いてある。

拘束型心筋症とは、心室の拡張や肥大を伴わず、見た目の心臓の動きも正常であるにも関わらず、心臓が硬くて広がりにくいため心不全としての症状をきたす病気です。このような病態は、様々な病気に伴い発生します(二次性拘束型心筋症といいます)が、一般に「拘束型心筋症」と言う場合は、特発性つまり原因がわからずこの疾患を発症した場合のことを指します。

1974年生まれの宮城さんは、生来この疾患と共に生きていた。心臓に負担のかかる無理な行動はできない。
その苦しみや感覚は当人しかわからない。
宮城篤さん
(闘病中の宮城さん)

健常者が全速力で走った後、心臓がバクバク、息がゼイゼイいっているような状況が常に続いたのだろうか?
胸が押しつぶされるような感覚がずっと続いていたのだろうか?
その本当の苦しさは宮城さんにしかわからない。

その宮城さん、1998年に自宅で倒れて後は仕事すらままならぬ体となってしまった。
さらに2015年に病状が悪化。アメリカで心臓移植手術を行うという選択肢しかなくなった。

アメリカで心臓移植を行うには、1億4千万という費用が必要だ。
「宮城篤さんを救う会」が発足。ふじえもんに話を聞き、教室に募金箱を設置した。
そして、手術は成功した。

あれから一年、宮城さんがふじえもんと共に教室においで下さった。
宮城篤さん(教室前)
元気にこちらに歩いてこられる宮城さんを見た瞬間。僕は雷に打たれたかのような気分になった。
写真でしかお目にかかったことのない宮城さんが、今元気になられてここにいる。
その笑顔、その存在そのものが「生きるていること」の喜びを伝えていた。
宮城さんは「生きている事の喜びを人に伝えられる」稀有な存在であることに気付いた。
その人と出会った感覚というものは言葉では言い表せない位、僕にとっては衝撃だった。

色々なお話をした。

心臓移植手術では先進国のアメリカでは、一か所の病院で日本全体の3年間分の心臓移植手術が行われているのだという。
宮城さんによればそれは「宗教的理由」…つまり完全な遺体のままあの世に送ってあげようという遺族たちの気持ち….が大きいのだという。

僕は吉村昭ファンだから「消えた鼓動」や「神々の沈黙」なら学生の頃に読んだことはある。
「北海道での移植事件の影響でしょうか?と尋ねたら「もちろんそれもあると思います」と宮城さんは言っていた。

募金は目標額には至らなかった。
こうしたケースでは子供さんの方が募金は集まりやすい。
それなりの額が宮城さんには負債として残っている。
その事を心配したら、彼はこう言った。

「いえいえ、そんなもん生きている事に比べたら、なんてことないです」

この言葉の持つ重みを僕は何日も何日もかみしめている。

我々は「生きている喜び」というものを人に伝えるのに、うまく言葉を選べない。
僕自身、2005年に交通事故で重体になっているから、自分なりの人生観は持っているのだけど、
彼のように全身で喜びを伝えることは難しいだろう。
かといって募金が集まりやすい子供さんの患者ではちと荷が重い。

きっと宮城さんは神様が生きることの喜びを人に伝えるために、生かしてくれたのだろう。
そんなことを思った。

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