ピョンチャン(平昌)とピョンヤン(平壌)の距離
いよいよ2月9日から平昌オリンピックが開催されます。
何となくですが、平昌(ピョンチャン)と平壌(ピョンヤン)の距離を測ってみました。
そうしたら299.55km...ほぼ300kmでした。
299.55kmというのはどれぐらいの距離かと言えば....
東京と仙台(厳密には東京駅と長町駅)なんです。
実に近い距離にも関わらず、精神的、歴史的、思想的距離は千里万里どころじゃないわけです。
KAKELの歌「鉄の馬」を思い出しました。
北朝鮮が日本ともアメリカとも同じフィールドでスポーツを競い合う。
「平和の祭典」なんていうお題目とは裏腹に、得体のしれない緊迫した空気を感じてしまうのは、私だけではないと思います。
ディスカッション
コメント一覧
ライアン・ホワイトという少年が発した「なぜ犬や動物とはみんな仲良く出来るのに、肌や宗教や国の違いで仲良く出来ないのか私には理解出来ません」という言葉を南北問題などを見るにつけ思い出します。北朝鮮の人も、韓国の人も国民食も喋る言語も伝統も大体同じです。しかし、長い分裂によって北朝鮮と韓国では同じ言語であっても、ほぼ鎖国の北朝鮮とアメリカナイズされた韓国ではかなり違いがあり、脱北した人も江戸時代から来た人がローラと話すような感じで噛み合ない状態で、コミュニケーションに悩む人が多くいると聞きました。
言語の発展にこれほどに差があると、同じ国としての成立は難しいのかもしれないと感じます。しかし、オリンピックの開会式の間だけでも、互いに銃を降ろすことが出来るのではないか、国の争いは何時の時代も決着が難しいものですが、素晴らしい大会で終ってほしいと思います。
言葉もそうだし、音楽(個人的にはNK-POPは好きですが)の違いももちろんですが、何よりも動物にない「イデオロギー」というやつが厄介ですね。
でもどんなに体制が取り繕ってみても、そこにイデオロギーの対立があろうと、そこにいるのは痛みも苦しみも悲しみも感じることのできる一人の人間たちです。
彼らが平昌で何を見るのか、そこで何を感じるのか、それがどう心境に変化を与えるのかがとても気になります。あるいは脱北者が出るかもなんて思っています。
強制収容所で生まれ、大人になってから脱北に成功したシン・ドンヒョクという人がいますが、彼が素敵な言葉を言っています。「人間には自由というDNAがある」。