ピカソ

教室事件簿

生徒のKちゃん(中学校2年生)のはなし。

中学校で美術のテストがあった。
美術作品の画像が8つほど並んでいて、
それぞれの作者名を記入するというやつ。

Kちゃんは答が全くわかんなかった。
そんなとき、頭の中に「ピカソ」の三文字が浮かんだ。

Kちゃんにとって「ピカソ」とはドンキホーテ系列の安売りショップの名前だった気もするし、画家の名前だったような気もする。いや画家の名前だったに違いない。

それならばというわけで8つの設問の答をすべて「ピカソ」にしてみた。

数日後、返却されたテストを見てみた。

一問だけ「ピカソ」で正解だった。

(これは余談だけど、僕はピカソが死んだ時のニュースを覚えている。いや、亡くなったというニュースを見た瞬間に「ピカソ」という人を覚えたようだ。調べてみたら彼の命日は1973年4月8日だから、当時の僕は小学校2年生になったばかりだった。よっぽどニュースで紹介された絵が子供心にインパクトがあったに違いない。そして、このニュースを見た子供たちが日本には大勢いた。教室の黒板に「ピカソのえ」などといってヘンな絵を描くのが流行し、「ピカソ」といえば「ヘンな絵を描く人」の代名詞となっていったのだ)

参考サイト
パブロ・ピカソ(Wikipedia)
ピカソ

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