夜間急病
今さっき病院から戻ってきたところ。
病み上がりだった次女が、夜になって再び頭痛と吐き気に襲われた。
救急医療センターに連絡したら桜木町の横浜市夜間急病センターまで来て欲しいと言われた。
そこであわてて次女をさかさまに抱きかかえ、深夜に高速をぶっ飛ばして病院まで行くと、12時5分前だった。
お医者さんに「髄膜炎の可能性がある。ココの診察は12時までだし、私にはこの症状は何とも判断しかねるので、他所へ行ってくれ」と親切なんだか残酷なんだかわからないことを言われる。
後で気づいたのだが、以前ココは24時間稼動の夜間急病センターだったはずだ。にもかかわらず今年から深夜12時で診療終了になったらしい。だったら「夜間」という看板に偽りありだ。
そこで紹介された東神奈川の済生会神奈川県病院へと移動する。
そうしたら病院に入るなりロビーで娘が再び吐いてしまう。いよいよ不安が高まる。ところが診察室に入ったとたんに、交通事故による救急の患者さんが担ぎ込まれて、再びロビーに出されてしまう。
やむを得ないことではあるが、僕も人の親だ、まして「ずいまくえん」などと聞きなれぬ言葉に不安も感じている。もっと待たされていたら、リミッターが外れていたかもしれない。
そうこうしているうちに、お医者さんが別の部屋で診療してくれた。
幸いなことに、ここのお医者さんはとても丁寧に見てくれたし、もっと不思議なのは、吐いたことをきっかけとして、娘の顔色に血色が戻り、急激に熱も下がってきたことだった。
オイオイ、さっきの「頭が痛~い痛いよぉ~」はどうしたの?
結局「髄膜炎の可能性は低い」ということで、座薬を入れてもらって先ほど帰宅した。
子供の病気って本当によくわからない。
だけど親の気持ちというものはいつもいっしょだよ。
おとといの10月18日は長女が生まれて10年目の記念日だった。
「やれやれ」と言いたいところだが、神さまは「まだまだ」といいたいようだ。
ディスカッション
コメント一覧
子を持つ端くれとして共感いたしました。
横浜市夜間急病センターは何故12時なってしまうのですね。
きっと横浜の夜間は12時まででそれからは早朝なのですかね。
うちでは基本的になにかあれば夜間行きます。
行かなくて後悔したくないから。
子供は症状が急変しますので気をつけています。
やっぱり今のご時世責任問題が問われますから医者もたいへんのは
わかりますが。
それも承知で医者になったわけだし、それなりの報酬の受けているのですから。
娘さんお誕生日おめでとうございます。
またうちのかっぱ娘と遊んでくださいね。
>すみくん。さん
子供というのは、昼間は何かに熱中しているからこそ、夜中に具合が悪くなるんですよね。たとえオーバーリアクションのそしりを受けたとしても、僕も必ず夜間救急へ行くようにしています。
今回は23時すぎに横浜市救急医療情報センターに教えられて行ったのですが、最初から24時間体制の病院を紹介して欲しかったです。
なお、PDFファイルですが、
http://www.yokohama.kanagawa.med.or.jp/pdf/minken/2006-3-4.pdf
こちらに時間改正に関する詳しいことが掲載されています。
また、コチラには、
http://www.city.yokohama.jp/me/kosodate/04413.html
「24時以降の急病時は、市内「基幹病院」で受診が可能です。詳しくは横浜市救急医療情報センター(電話201-1199)にお問い合わせください」。
と書いてありました。
僕のところの「ずだだだ娘」は今日はかかりつけのお医者さんで点滴を受けてきたようです。はやく回復してかっぱ娘さんと遊べる日を楽しみにしています。
おいおいおいおい!
本当に髄膜炎だったら大変でしたよ!
風邪と初期の症状が似ているから分かりづらいけど、
後遺症が残る場合だってあります。
大したことない病状だとしても、半年ぐらいは熱出すたびに
ダルかったりもするんですよ~。
とりあえず、吐いたらスッキリで良かったですね。
子供は便秘やガス溜まりでも吐きますよ。
調子が悪いと、胃袋で消化されずにずっと停滞してることも
ありますもんね。コイツがいるだけで気持ちワル!
そのうち、風邪をひいたりすると「下す」派か「吐く」派か
はっきりしてくるでしょう。
不安が入り混じる中、お父さんお疲れ様です。
こういうときに冷静に運転できるのは男性!
パパが頼りな時です。
とにかく無事、10歳のお誕生日オメデトウございます。
そうか、あの時のあの子がもう10歳なんだ~。
とりあえず、
>ちゃっきぃさん
ありがとうございます。
男親ってたしかに運転はできますが、医療関係は全く無知。「ずいまくえん?何それ?」加減ですからね。ちゃっきぃさんのように事前に詳しく知っていたら、「何じゃいそりゃあ!こちとら一刻一秒争ってんだぞ!!」って桜木町か東神奈川で暴れていたかもしれません。
翌日かかりつけの医者で点滴を受けた娘は、針の跡にマイメロのシールを貼ってもらったまま、翌日には運動会に出ておりましたとさ。
最後の父親から見た10年という時間ですが、確実に前半の5年が長かったです。印象もこちらの方がはるかに強いです。後半の5年はあっという間でした。全体的には「長かったような短かったような」という月並みな印象です。多分育児に関するかかわり方だと思いますが、母親にはまた違った感慨があると思いますよ。