植木など
中学生の頃のことだ。
僕の友人のササキ君が、どこでどう聞いてきたのかはわからないけど、
衝撃的な事実を教えてくれた。
「植木等って、昭和とともに生まれたんだぜ」
つまりこういうことだ。
植木等の誕生日は1926(昭和元)年の12月25日。
前日の24日に大正天皇が崩御し、25日に昭和天皇が即位しているから、ズバリこの日から昭和が始まったのである。
それ以来、僕とササキ君は日本政府に無断で元号を廃止し、「昭和○年」の代わりに「植木○才」と使うことにした。
植木16才→太平洋戦争勃発(昭和16年)
植木20才→終戦(昭和20年)
植木45才→大阪万国博覧会開催(昭和45年)
植木51才→ピンクレディーがデビュー(昭和51年)
といった具合である。
新しい元号制だったが、これが大間違いであることに気づくのには、それほど時間はかからなかった。実際には昭和元年はわずか一週間で終わり、1927年からは「昭和2年」となるからだ。昭和2年=植木等0才(数えだと1才…..になるのかな)になるから、計算があわないことこの上ない。
そこで僕とササキ君は雑誌の付録についていた「タレント名鑑」を調べあげ、TVの「アフタヌーン・ショー」で怒りの司会(「それは秘密です」の泣きの司会も可)をやっていた桂小金治が1925(大正14)年の生まれであることを知り、以後「昭和」のかわりに「小金治○才」を使うことにした。
「2.26事件って小金治何才だっけ?」
「小金治11才だろ」
みたいな会話を繰り返していた。
大人になってから、小金治も実は大正15年の生まれであることを知り、「タレント名鑑」の誤植に怒りを感じたのだが、未だに「昭和」にかわる元号を考えてはいない。
さて、話はかわるが僕が新入社員ホヤホヤの頃、上司に連れられてキタのバーに行った時の事である。
ビルの通路に貼り紙で
「ここに植木等(など)を並べないで下さい」
と書いてあった。
僕が冗談で「こんなところに"うえきひとし"を並べてどうすんでしょうね?」と上司に尋ねたところ、
上司から「バカ、あれは”うえきなど”と読むのだ」と言われた。
会社というところは冗談が通じないということを思い知らされた一瞬だった。
時計の針をちょっと戻す。
大学の頃、友人の凡虫君が「満員電車でクレイジー・キャッツを聞くと、凄いものがあるよ」と教えてくれたので、さっそくCDをレンタルしてウォークマンで聴きながら満員の地下鉄東西線に乗ってみた。
朝の電車は真剣な顔した背広姿のサラリーマンとOLでギュウギュウだった。そんな中で「スーイ、スーイ、スーダラダッタ」と脳内を流れてゆく無責任かつ脳天気な音楽の数々…..なんとなく世の中がバカバカしくなった。世の中を斜から眺めることの大切さを教えられた一瞬だった。
「植木38才頃」に生まれた僕は、彼とは大きな世代のズレがある。だけど、おんなじ昭和という時代を共有できたのはラッキーだったかもしれない。
追記:植木さんとほぼ時期を同じくして、高校の同級生だった将棋の達正光六段の訃報に接した。8クラスもあったので、達君のことは覚えていないけれど、「同級生の死」というものに、何とも言えない気持ちになっている。
ディスカッション
コメント一覧
いやぁ、今日の記事は昔も、新入社員時代も、そしておそらく今も、高校時代と内面は変わらぬ君の一面が見れたようで、無性にうれしかった。
「冷水にはやや」とか「あ行い段の う」とか、思い出して笑ってしまったw
この訃報の直前、同級生の達六段の訃報があった。急性心不全だそうで。
なんか日々大切に暮らさなければ。
>いけさん
内面は全然変わっていないのに、外面だけは年をとったよ。そのうえ同級生の達君の訃報に接して(達君を覚えていないのだけど)、しかもそれが心不全というものだけに
ガックリきてしまった。
本当に、日々を大切に暮らさないとね。
『植木○才』は良いなぁ。
反戦団体や核撲滅団体が
『原爆起』を使っている話を聞いたことが有るけど、
なんとなく好きになれない。
※原爆起=原爆投下(1945年)を元年とする考え方
今度は平成元年1月8日生まれの有名人を探して、
平成の代わりに『○○X才』と行きたいですね。
達正光六段は、アッシとは同級生でした。
卒業後はほとんど交流が無かったけど、
自慢の同級生であることには変わりなく
訃報を聞いたときはショックを隠しきれませんでした。
31日は某同級生とともに、
お通夜に参列いたします。
>こさくさん
きっと魔人君と行くのですね。
達君のお通夜、僕の分もお見送りしてきて下さい。
達君は、今は七段を追贈されていますね。
>若宮こさくさん
そうですね。これからと言う時に惜しいことをしました。