人工関節置換術の手術を受けて気づいたこと

管理人のたわごと

2月25日、右ひざの「人工関節置換術」という手術を受けた。
お陰様で3月11日に退院し、現在は杖なしでもまあ歩ける状態だし(かと言って完全に手放すには不安)、階段の上り下りも、杖があれば何とか1段おきで上下できるようになった。

4月6日のスクールライブは初めての一日中立ち仕事だった。やはり一日中ほぼ立ちっぱなしというのはキツかったが、何とかやり通す事ができた。この30年間の医学技術の進歩に感謝するしかなかった。

今から30年前の1995年1月14日、僕は京都北大路にある「京都けいさつ病院(現京都からすま病院)」で右ひざの手術を受けた。手術名を専門用語で何と言うのかすっかり忘れてしまったけど、「右膝半月板損傷なんたら」の「内視鏡手術」だった。

この時、最初は西大路五条の京都市立病院へ行ったのだけど「ここでは手術が難しい。北大路のけいさつ病院には、京都で唯一人、内視鏡手術ができる先生がいるから紹介しましょう」という事だった。

この時の手術によって膝に2つのボルトが打ち込まれ、僕の体を支えてくれるようになった。

手術前の状態

術後3日目に阪神淡路大震災に遭遇したこと、入院患者の中に関東大震災の体験者がいたことなどは前に書いたとおりだ。大変だったのは退院までの時間だった。一週間ぐらいでようやく抜糸が行われ、その間はシャワーも浴びれなかった。ギブスはどうだったか覚えていないけど、ごっつい石膏のものから一週間で取り外しのできる金属製のものに交換されたと思う。

その後のリハビリがこれまた大変だった。
角度を曲げる機械を使って「今日は10度、明日は15度」という具合に膝が曲がるようにしてゆく。90度曲がるようになるまで1~2か月ぐらいかかったんじゃないだろうか?とにかく1月に手術して退院したのは3月頃だったと記憶している。

この時に先生に言われた事がある。「この手術で膝を支えるのはせいぜい30年ぐらいです。またその時になったら再手術が必要でしょう」

そんな未来の事なんて想像もできなかったけど、昨年12月から膝が痛み出した時(外れるようなうまく噛み合わないような感触)、先生の話を思い出してぞっとしたものだ。そうピッタリ翌月で30年だったからだ。

かかりつけのお医者さんに紹介状を書いて頂き、港南台の南部病院に通院し、レントゲンだMRIだ何とかスキャナだなんだかんだと色々やった挙句、2月25日に手術となったわけだ。

手術当日、病室から見た港南台から野庭方面。「地方都市」という表情がある。

どうでもいい話だけど、全身麻酔ってなんだか騙されたような気分になる。毎回そう思う。
毎回「絶対に眠らないぞ!」と思いながら麻酔を受けるのだけど、次の瞬間には「はいお疲れ様でした。手術無事おわりました」とくる。なんだか人生の中である時間を損したような気分になる。

元来僕は下戸だから麻酔は効きやすいのだろう。今回もそうだった、手術室で麻酔をかける直前に上記の冗談を麻酔医さんたちに話す。今回は点滴麻酔だったのだけど「ハイ点滴始めましたよ」と言われた直後に「わしゃ寝ないぞ!わしゃ寝ないぞ!」と叫び、周囲が笑っていたのは覚えている。ところが次の瞬間には「はいお疲れ様でした。手術無事おわりました」となっていた。その間2時間ぐらいかな。またもや人生を損した気分になった。

術後3日間、痛み止めの麻酔点滴を受けていたせいだろうか。記憶がなんとなくごちゃごちゃなのだけど、iPhoneの「ジャーナル」機能で日記をつけていたので、それを読み直しながら書いてみよう。

フレッド・アステア自伝

まず、手術室から病室に運ばれた直後の事だ。僕は看護師さんにテレビ台にある『フレッド・アステア自伝』が読みたいから枕元に置いて欲しいとお願いしたらしい。家から持参してきたその本を、早速読み始めたらしい。後で看護師さんに「こんな人、初めてみた」と呆れられていたようだ。

30年間僕を支えてきてくれたボルトは、摘出後に返却してくれるように先生にお願いしていた。大切な宝物のする。

当然「記憶はごちゃごちゃ」だ。確かに『フレッド・アステア自伝』を読んでいた記憶はあるのだけど、頭に入っていないも同然だった。自伝の前半はヴォードビル→ブロードウェイ時代、後半はミュージカル映画時代なのだけど、膨大なレコーディングに関する記述があまりにも少なかったのが残念だった。興味深かったのは、イギリスでの公演を通して英国国王ジョージ5世の3人の王子たち…皇太子エドワード(後エドワード8世)、ジョージ(後ジョージ6世)、ケント公ジョージたちと親交を結び、しばしばパーティーに招待されていたというエピソードだったが、とにかく全体的にぼんやりとしか頭に入ってこなかった。

はっきり覚えているのは、とにかく排尿の管が嫌だった事だ。これは本当に苦手で嫌でたまらない。今回も看護師に無理やりお願いして手術翌日(26日)の夜には抜いてもらった。意識はあるわけだし、尿瓶に頼ればいい話だ。そして27日夜にはポールからの点滴が終了したので、車いすで移動できるようになった。そしてこの日にリハビリも始まった。

30年前の術後3日目といえば、まだ足にギブスをつけた状態だったし、病院に車いすが不足していたようだった。松葉杖で苦労して1F売店まで震災の新聞を買いに行った事を思い出した、実に身軽になったものだ。そもそもこの段階で膝が90度曲がるというのが感動だった。30年前ならリハビリで1~1か月半はかかったと記憶しているからだ。

病院食はこんな感じだ。

病院食の一例


実は昨年5月からダイエットを開始して、ジムで毎回1,000mを泳ぎ、食生活ではサラダとか蕎麦とか味気ないものばかり連日食べていたので、自分にとってはこっちの方が「ご馳走」だった。これはかなり笑えない話だが、前は毎週のように食べていた家系ラーメンも、昨年5月以降ピタっと食べていない。

まあこうしている間にも、仕事というものは入ってくるもので、しかも面白いのは何年に1回という仕事ばかりだという事だ。3月1日には、以前に提出した見積書の文言を修正して欲しいという要請だったり、滅多にない採用に関する手続きだったりしたけど、優秀なスタッフと連携を取り合って、うまい事着地させた。ありがたいありがたい。

入院という事について考えてみる。
入院前は強制的な長期休暇だと思って楽しみな所もあった。時折上記のような仕事も入るけど、長く休めるというのはよい事だぐらいに期待をしていた。と・こ・ろ・が・だ。もう5~6日すると嫌になってくるではないか。これはどういう事なんだろう?

実は自分は旅行もそんな所がある。5~6日も旅行すると、もう家に帰りたくなってくる。それは単純にホームシックとかではない。どうやらそれは社会のある種のシステムから外れ続ける事に対する不安もあるし、入院という単調な生活に飽きてくるというのもある。旅行はどうなんだろう?次第に旅が面倒臭くなるとか、旅に飽きてくるとか、そんな理由だろう。自分でも不思議な現象だと思うのだけど、どうもこの5~6日というのが、自分にとっては限界だという事は、新たな自分発見だったかもしれない。

お陰でリハビリの方も順調に進んでいた。自分でもこまめに院内を車いすで移動するようにし、3月4日に歩行器の使用が許可されると、これまた歩きまわっていた。毎日地下1Fのセブン・イレブンに通ったり、病院の外(入口周り)でコーヒーを飲むのを日課にしていた。

恒例の病院玄関でのコーヒー。最初は缶コーヒーだったけど、杖で歩けるようになるとカップのコーヒへと昇格した。

だから回復も早かったんだと思う。2週間で杖をつきながら歩けるようになった。
先生は3月17日頃退院というように考えて下さったようだけど、「3月11日に外せない仕事があるので外出許可が欲しい」と申し上げたのをきっかけに、結局この日に退院させて頂く事ができた。おそらく理由はインフルエンザの蔓延だったと思う。一旦外出許可を出そうものならば、外から何を持ち帰ってくるかわからない。「出た以上、戻ってくるな」という事もあったのだと思う。

手術後の右膝(人工関節)

さて、退院から一か月になろうとしている。相変わらず「膝が笑う」恐れがあるので、外出時は杖を持って歩いているけど、家の中では杖は使わなくなった。冒頭に書いたように階段も一段置きで下りられるようになった。立ち仕事もなんとかできる。医療技術の進歩には感動しかない。

そしてもう一つ、入院の副産物がある。

2月24日の一服。これが最後となってしまった。

なんとなく覚悟はしていたのだけど、入院の2月24日以降、全く煙草を吸える状態ではなくなってしまった。術後3日間は朦朧としていたから、離脱症状の一番厳しい時を有耶無耶にやり過ごす事はできた。その後も病院の外出が厳しく制限されていて、コーヒーを飲むために入口を出ようとしても、守衛さんに声を掛けられる始末だったので、自然と禁煙という流れになってしまったのだ。

禁煙外来を使わずに禁煙したのはこれが初めてで...実は過去に2回半年の禁煙でまた吸い始めている。自分もこれで禁煙できるとは思ってもいなかった。実は一番辛かったのは、禁煙後の一週間ではなく、退院後の一週間だった。前の2回の禁煙とはここが違っていた。自由に煙草を吸える環境で我慢する事がこんなに辛いとは思わなかった。それでも帰宅後、家に残っていた煙草とライターをすべて処分し、現在は「メガ男梅粒」と電子タバコ+「NFREE」の組み合わせでしのいでいる。また半年で潰えるのか、意外と続くのかは正直自信がない。今回はたまたま「拾った禁煙」という気軽さがあるから、あるいは長持ちするかもしれない。そこは何とも言えない。

管理人のたわごと

Posted by spiduction66