京都、円通寺裏定点画像
これは今からちょうど20年前の1988年の夏の写真。
僕は大学で「古都研究会」なるサークルにいた。
高校時代が「ロック同好会」だったわけだから、恐るべき転進といえるだろう。まあいいいや。
その合宿で京都に行った際、岩倉幡枝の円通寺というお寺の裏手で撮影した。ここには比叡山がとてもキレイに見える場所がある。おあつらえむきに車止めの鉄の円柱が立っていて、それを三脚代わりにして撮影した。
ちなみに前列の一番左が僕。後列左のグラサン野郎は、教室にあるタンノイのスピーカーをくれた男。今でもマイミクのバンコクいちろう君だ。
なお、場所はこのあたり。
まさかこのときは、その後20年にわたって、この場所で写真を撮影してゆくことになるとは想像だにしなかった。むろん京都に住むことも.....
6年後の1994年4月撮影。隣はカミさん。円通寺には比叡山を借景とした素晴らしい庭園があり(おそらく京都の庭園でも最高水準)、それを見るために春爛漫の季節に行ったのだろう(円通寺庭園の画像は「他称若年寄の日々」さんのblogの画像が素晴らしい)。
このあたりは、江戸時代に後水尾天皇が「比叡山がもっとも美しく見える場所」と称えて、自分の別荘を作ったほどの所だ。市街地に近いにもかかわらず、喧騒を離れた別天地だった。
むろん、僕にとってもお気に入りの場所だった。
さて、お次は同じ1994年の11月。この年の9月に至近距離の北山に引っ越した僕は、この場所まで自転車で行けるようになった。冬枯れの季節の夕刻に、自転車で円通寺を通って宝ヶ池まで遊んだときの画像。
1995年3月撮影。右膝じん帯の内視鏡手術を受けた後、リバビリをしていた頃だ。
手術は1月14日。3日後の明朝、病院のベッドで阪神淡路大震災に遭遇した。
1995年8月撮影。北山の暮らしは10ヶ月で終了した。11月に結婚を決め、太秦に新居を見つけたからだ。おそらく引っ越す前にお別れに撮影しに行ったのだろう。
1996年9月26日撮影。この日はあいにく比叡山がガスっていて見えなかったようだ。すでにカミさんのお腹には長女がいる。長女が生まれたのは、この20日後だった。
2001年2月9日撮影。いつのまに家族は4人となっていた。
4年ちょっとの撮影ブランクは、夫婦ともに仕事と育児に忙しくて、太秦から岩倉まで行く余裕がなかったことを意味している。
2004年5月3日撮影。ここからデジカメとなる。すでに僕は京都から神奈川に戻っており、この時は今のオシゴトを始めた直後だった。
2007年8月12日撮影。3年ぶりの京都。
あろうことかこの風光明媚な場所にも、宅地開発の波が押し寄せていた。
比叡山の借景庭園があるような場所なので、よもや開発はされまいと思っていた。しかし、あの畑のすべては潰され、宅地として整備されていた。
このような写真が撮影できるのも、おそらく今回が最後じゃないかと思っている。
上の画像は1994年4月撮影。
ほぼ同地点(2007年8月)。
これも1994年4月撮影の円通寺の裏道。左手が円通寺の竹やぶとなっている。
ほぼ同じ場所(50mぐらい手前 2007年8月撮影)。
こりゃあ、あんまりだよ。
人様の土地だ。他人がとやかく言えることではない。
だけど、ここには希少な景観が残されていた。それを自治体が守れなかったことが残念でならない。
この20年間の画像は、時間の流れを表すとともに、失ったものの大きさをもの語っている。
ディスカッション
コメント一覧
高校時代が「ロック同好会」で同じバンドやってたモノが、片や「古都研究会」で、片や「運動部連盟自動車部」だったわけですなw
お互いの趣味性が出ててよろしいかとw
しかし同じ場所で写真を撮り続けるって、いいやね。
どうもいつも自分は「撮影者」であろうとするため、なかなか自分が写ってる写真がないんだよね。特にそう言う同じ場所で撮り続けるってなかなかないし。
これはいい記録だね。
昔のものがなくなっていくのは残念だけど、それもまた新しいことの始まり。機会があれば、また10年後くらいにに振り返れば今の状況もまた違った見方ができるのかも。
円通寺、京都で一番好きなお寺(というか庭)でしたよ。サークルの合宿で行っていた頃が懐かしい♪ もう何年も行ってなかったですが、お寺の真裏で宅地開発とは・・・あの辺りののどかな田園風景も含めて好きだったのになあ。畑に生えてる京野菜を初めて目にしたのもあの辺だったかも(笑)
>いけさん
よく考えたら僕は「フォーク同好会」と掛け持ちしてましたね。陽水やってPurpleやって、みたいな(笑)。
今でもまちまちな音楽のベクトルは代わりません。
いけさんは「撮影者」なんだけど「表現者」でもあるわけだ。そして身近な場所としては、いけさんの実家の周辺の変遷も記録としては凄いものがあったと思うよ。●田のあたりなんか物凄い変わりようじゃないですか。是非よい場所を見つけて20年ぐらい撮影してみて下さい。
ああ、この写真ですか?これからも継続して撮影してゆきますよ。ただもう比叡山が写るかどうか....
>羊子さん
あそこは本当に良い場所でしたね。だからと言って近所に住み着いたわけではありませんが(笑)。とにかくこれほど開発されてしまうとは思いませんでした。
円通寺の庭園は撮影禁止だったの覚えていますか?だけど「今後この景観が保持できる可能性が低い」という理由から、現在は撮影できるようになったようです。今回は公開時間に間に合わず、庭園の撮影はできませんでした。
ご家族とのほのぼのとした雰囲気が、この場所とマッチしていて、見ていてつい口元がほころんでしまいました。
それにしても、開発、残念です。こういう良い場所残していかないといけないのにな。
撮影禁止、覚えてますよ~。すごくお気に入りの庭園だったのでぜひとも写真を撮りたかったのに、入口でカメラを取り上げられるほど厳重だったのが忘れられません。写真撮影に気を取られずに静かに庭を鑑賞すべし、とのお寺側の主張も確かにそうかなっても思えましたけどね。
現在は写真OKなんですか、久しぶりに行ってみたいなあ~
奥様とのspiduction66さんのポジションがほとんど変わらないのは偶然ですか?
少しずつ開発が進んで、気づいた時には「ここ、昔どんなだったっけ?」と思い出せない場所って結構あります。
同じ場所で写真を撮り続けるってすごいですね。
私も今からやってみようかな・・・
haruさん
ポジションは変わらないんですが、体型が変わりました(笑)。13年前と比べると明らかに「幅」が広がってます。
ポジションですが、セルフタイマーでの撮影なんで、たどり着きやすい右側になったのだと思います。今回は三脚代わりに使っていた鉄柱もすでに撤去されており、人に撮影してもらいました。
同じ場所で写真を撮り続けるって面白いですよ。是非オススメします。この記事書くのに20年かかりました。
>リンパさん
銀座松屋の写真館で「家族の肖像」を30年以上撮影し続けているご家族もいるそうです。写真館だとあらたまっちゃいますね。
ここは京都でも知る人ぞ知る場所です。
ここだけは残してほしかったです。
でもこういう変化もまた変化のうちなんでしょうね。
>羊子さん
写真OKです。早いうちに行かれたほうがいいかもです。
「静かに」もそうだけど、寝転がって鑑賞している奴は怒られていました。
ところであのお寺の先代住職の名前は僕の苗字と同じです。
これは驚きです!
あの円通寺周辺がこんなことになっているなんて。。。
庭園撮影OKも驚き。
監視カメラがあるとは知らずに隠し撮りしようとして、失敗した(怒られた)前科ありです。
時の流れとは恐ろしいものですね。
この定点撮影、あと30年くらい続けたら1冊の本にできそうですね。
娘さんが結婚して、孫が生まれて成長して・・・楽しみですね。
>M浦君
そう言えば君はアソコの若い住職に怒られていたね(笑)。アソコでは寝転がって庭園見ていて怒られていた人もいたよ。
円通寺の周辺の激変は驚きというか...ショック。本になるかどうかはわからないけど、ネタにはなるね。
これからも変化を撮影してゆくでしょう。