京都、円通寺裏定点画像その2

ぶうらぶら

(ここから来た方は、まずこちらからを読んでください)。

20年間撮影シリーズの新たな追加画像。

2008年5月6日撮影。


我々が立っていた小路は、ついに道の半分が削りとられ、フェンスにさえぎられてしまった。

今回はこの撮影地点に隣接する円通寺も拝観。
ここの庭園は京都の庭園の中でも屈指の作品だと思う。

今から22年前、はじめてこの庭園を見たとき、僕は物凄い衝撃を受けた。

それまでの僕にとって「庭園」というものはあくまでも「囲まれた空間」だったけど、円通寺は全く逆の発想だと思った。
「囲まれているけど、囲まれていない....」

それまでの僕の固定観念では、「庭」というものは岩組や植栽などを配置、それを主として鑑賞するものだった。
いわゆる借景や背景と呼ばれるものはあくまでも従として鑑賞するもの....だった。
ところが、この庭はそれが逆だった。
背景の比叡山が主であり、こちら側の岩組や植栽は従だった。

雄大さと力強さを持ちながら、優しさも持ちあわせた風景、
「これは庭園を超越した庭園だ」なんてことを思ったものだ。

実は今まで、この庭園の写真撮影は禁止されていた。
拝観受付で僕よりやや年上の住職にカメラを預けなければいけなかった。

学生の頃、その理由をこの方に尋ねたことがある。
その頃はもちろん僕と同じように若かった住職はこう言った。
「このお庭は知っている人だけが知っていればいいと思うので、昔から宣伝をしないんです。
タクシーの運転手さんの説明なども禁止しています。自分の感じるままに見て欲しい庭です」
そのマニアックさが、これまた僕の古都ごころをくすぐった。
「この庭園は庭園界におけるThe Whoみたいなもんだな」という解釈をした(当時の彼らは今ほど人気がなかった)。

それ以来、何度ここを訪れたかわからない。
あげくのはてに近所の北山に住んでいたこともあるぐらい。
だからこのような一連の定点画像を撮影できた。

しかし、近年の著しい周辺の開発によって、住職も決断せざるを得なかった。
「いつまでこの素晴らしい風景が見れるかわからない。だから写真撮影を許可しました」
とのこと。

実際のところ遠方のマンションの上部が風景の障害になっていた。10年前には考えられなかったこと。

再び円通寺の裏手にまわってみる。

前回日記の最後の画像にあった工事中の小道は、
こんな風に造成されてしまった。
10年前にはのどかな田舎道だった。


これは1996年にこの道から撮影したお花畑。
上の写っているアイボリー色の民家に注目。


同じ民家が左手に写っているけど、
今では花畑の痕跡すらない。

僕ですか?
そりゃあ、これからも撮影は続けてゆきますよ。

ぶうらぶら