御茶ノ水研究会紀要 (2)
-秋葉原方面の過去と今-
「御茶ノ水研究会紀要 (1)
-1978年御茶ノ水橋の写真と現在とを比較する-」の続き
1978年の御茶ノ水の朝は、空気がよっぽど気持ちよかったんだろう。
聖橋上から御茶ノ水橋方面を撮影した僕は、今度は車道をわたって秋葉原方面を撮影している。
(1978年 聖橋上から秋葉原方面)
たまたま写っていた(あるいは確信犯的に撮影したのかは記憶にない)「うねうね模様」が特徴の丸の内線の赤い電車が懐かしい。そこで32年後は電車を待ち構えて撮影してみた。
(2010年)
その変貌には驚かされる。
僕はこの画像を撮影しながら「リッカーミシンの看板のあるビルはもう取り壊されたのか」と思っていた。
ところがどっこい、自宅で画像をチェックしてみたら、ちゃんと建っているではないか。
(1978年)
(2010年)
建物の形状、窓の位置が一緒だ。
このビル、調べてみたら「共同ビル万世」というらしい。1963年竣工だからすでに築47年が経過している。坪単価が1万円というかなり安い。おそらく景色もいいと思われる。光ファイバー設備も完備しているようなので、あるいは穴場物件かもしれない。
「リッカーミシン」の方は粉飾決算がバレて、1984年に倒産したとウィキペディアにあった。そういえばそんなこともあったなと思い出した。
1978年の写真には他にも面白い看板があった。
総武線鉄橋の左手に「TORIO STEREO」というのがあった。ここは石丸電気の本店ビルではないかと思う。(外神田5丁目の角にあった「聯合ビル」とのご指摘がありました。コメントありがとうございます)
「トリオ」が「ケンウッド」の前身だったなんてこと、知らなかったなぁ。
ややこしいことに「共同ビル万世」では、リッカーミシンの看板あとが「ケンウッド」の看板だったことを「神田川に架かる140の橋」さんの記事「聖橋」で発見した。
「御茶ノ水研究会紀要(3)聖橋」へ続く
ディスカッション
コメント一覧
いや~写真の威力を改めてまざまざと知りました。
毎回spiductionさんのブログを読むと今生きていることが歴史だと感じ入ります。恐れ入りました。
いや懐かしい写真見せて頂きました。
街もも変わっていくものですね。
人も変わると言いますが、進取の気鋭とやる気が有れば変わらないで済みます。
これを持ちつずける秘訣は日々トレーニングですよ。
生きて行く上での選択が豊富となります。
変な感想ですいませんね。
>しょーちゃん
実は今回ぐらいそれを感じたことはないんですよ。
自分が撮影したものが、ちょっとした歴史の記録になるなんて思いもしませんでした。
今後もネタ投下します。
>名犬さん
名犬さんは、このあたりは「地元」に近いから、なおさら懐かしかったんじゃないかと思います。
進取の気鋭は血なんですかね~。
「若いモンには負けんぞ」っていうヘンな気負いのある人もいますが、結局それは老いているということだと思います。
名犬さんにはそれがないから大変見習うことができるんです。
当時、「TORIO」の看板があったのは、外神田5丁目の角にあった「聯合ビル」です。石丸電機ではありません。私は、1973年ごろ、1年間そこで働いていました。毎日、屋上の看板の下で、お弁当を食べていました。懐かしい写真を見つけて嬉しかったです。
>相模の猫十様
石丸電機ではないんですね。ご指摘ありがとうございます。
修正します。
TORIOも石丸も過去の言葉、何もかも昔のことになってしまいましたね!