トニー・シェリダン死去

僕の手元には、こんなレコードがある。
Tony Sheridan My Bonnie
(ビートルズ「マイ・ボニー」)

ポリドールのレコードで、規格番号はDPQ-6903 値段は600円だ。
レコードのインナーには、
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「ビートルズ(ヴォーカル・演奏)」となっているが、半分はウソだ。
正確に言えば「トニーシェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」が正しい。

これはデビュー前に、ドイツのハンブルグに巡業に出ていたビートルズが、同じイギリス出身のロック・シンガー、トニー・シェリダンのバックバンドとしてレコーディングした音源だ。ボーカルもトニー・シェリダン。

レコーディングは1961年の6月22日から23日にかけて、ハンブルグの「フリードリッヒ・エバート・ハール」で行われた。ジョン・レノン、ポール・マッカトーニー、ジョージ・ハリスン、そしてピート・ベスト(当時リンゴ・スターは加入していない)は、その演奏とバックコーラスを(いまや歴史に対して)残してくれた。

この「ポリドール・セッション」に関してはビートルズ研究家の方々が様々な形で書いているようなので割愛するけど、日本でのリリースは実に早いものだった。
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日本では1962年5月に折からのツイストブームに便乗して「マイ・ボニー・ツイスト」というタイトルで発売されている。クレジットは「トニー・シェリダンと彼のビート・ブラザーズ」。
まだビートルズがデビューする前のリリースなのだから、今や恐るべき貴重盤間違いない。

ビートルズの歴史はあまりにも微に入り細に入りすぎていて不気味なのだが、その後の歴史によれば、こうなる。
1961年10月28日、リヴァプールでレコード店を経営するブライアン・エプスタインの下にレイモンド・ジョーンズという少年が「マイ・ボニーのレコードはないか?」と問い合わせがあった時から彼はビートルズという存在を知り、後にマネージャーとなって彼らをスターダムに押し上げてゆくことになる。

その後、ビートルズのブームに便乗して、このシングルは(ハンブルグ・セッション音源もひっくるめて)様々な形でリリースされる。
ちなみに僕が持っているシングル・レコードは昭和52年(1977年)にリリースされたものらしい。
僕はこれを高校生の頃に「騙されて買っちゃったよ」という友達からタダで貰った。
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(ビートルズ「いい娘じゃないか(Ain’t She Sweet)」同じハンブルグのセッションからレコードになったもの。ボーカルはジョン・レノン。B面「クライ・フォーア・シャドウ」はジョンとジョージの共作にインストゥルメント作品)

さて、ここにひとつ奇妙な記憶がある。
昭和46年(1971年)に、母が近所の人から「えいごのうた」というレコードを貰ってきた。子供向けの英語の曲が沢山入ったレコードなのだけど、その中に無名の歌手が歌ったスローテンポの「マイ・ボニー」が収録されていた。もともとは古いイギリスの民謡で日本でも古くから知られていた曲らしい。少なくとも母はこの曲を知っていた。
問題はその先だ。それを聞いている時、母が父に対して「この曲、ビートルズもやっているのよ」と言ったのを、僕ははっきりと覚えている。ウソではない。本当にはっきりとだ。
なぜ当時5歳ぐらいの子供が「びーとるず」を知っていたのかもわからないし、なぜ母がその事実を知っていたのかもわからない。
お袋はなぜか子供に向かって積極的に自分の好きな音楽を語らないようなところがあるのだけど、家事の最中にFMラジオをつけっぱなしにしているような音楽好きな人だった。
あるいは自然とそこから耳に流れ込んできたのかもしれない。
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えーと、何の話だったっけ?ああそうだ。
そのトニー・シェリダンがハンブルグで72歳で亡くなったというニュースが2月17日付「ニューヨーク・タイムス」で報道されている。 「died Saturday in Hamburg, Germany.」というのだから2月16日のことだと思う。

たまたまレコーディング使ったバックバンドが世界で最も成功したロックバンドになってしまった人の気分って、どんなものなんだろう?
かえって知名度は上がってしまうし、「ハンブルグ時代のビートルズ」に関しては嫌気がさすほどにインタビューを受けてきたんだろう。
さらにポリドールやEMIからはそれなりの印税だって入ってきたと思う。

きっと想像を絶する葛藤があっただろうな、と思いつつ。ご冥福をお祈りする。