サンタクロースがやってくる

その1「サンタの忘れ物」
数年前のクリスマスの朝のこと。
娘たちが期待に胸をときめかせながら目をさますと、枕元にプレゼントとともに一枚の手紙がおいてあった。

「ルドルフがくしゃみをしたはずみに、あなたたちのおうちのあたりに、おとしものをしてしまったようなのです。おとしたのはサモワールというあたたかいお茶をのむどうぐです。わたしはいそがしいので、さがすひまがありません。らいねんのイブのよるまであずかっておいてください サンタクロースより」

そこで娘たちが家のまわりをさがすと、たしかに家の裏側にサモワールが落ちていた。

翌年のクリスマス・イブ、子供たちは枕元にサモワールを置いて寝た。もちろんサンタさんに返すためだ。
翌日、枕元にプレゼントとともに、また手紙が置いてあった。
「一年間サモワールをあずかってくれてありがとう。でもサモワールは新しいのを買ってしまいました。フィンランドの冬はあたたかいお茶がないと大変ですからね。古いのはさしあげます。サンタクロースより」と書いてあった。ところが手紙の欄外に書き込みがあって、
「さっきまであったはずなのに、ルドルフの首にかけていたソリのナンバープレートがみつかりません。ねんのためにさがしておいてください」
そこで子供たちが家中をさがす。すると、2階のベランダにたしかにソリのナンバープレートが落ちているではないか。
子供たちは大喜びで一年間それを保管する

サンタクロースは来るたびに僕の家の周囲に落し物をしていった。
翌年はキャンドル立て、昨年はコースターだった。

そして今年もクリスマス・イブがやってきた。

先日、3年生になる次女がクラスの友達から「サンタなんていないよ」と言われたらしい。
「本当にいるのかな?でも毎年忘れ物してゆくしね~」と娘が言うので、僕は言ってやった。
「忘れ物をしてゆくのが、何よりの証拠だろ」
「うん、そうだよね~」
「サンタさんは信じなくなった子供のところへは来なくなっちゃうんだ。神社やお寺に行った時に手をあわせるけど、そういう時に神様や仏様にお願いをするわけだから、その存在を信じるだろ?それといっしょだよ。信じなくなるってことは、サンタさんからのプレゼントもなくなってしまうということだ。これは想像だけど、信じている人には信じなくなってしまった人の分、よりいいプレゼントが来るはずだよ。だからもしそんなこと言っている友達がいたならば、無理して反論しても意味がないから、”よっしゃ!ラッキー!”と内心喜んでおけばいいんだよ」
次女は「うん、そうだね」と喜んでいた。

今夜、信なくなった子供たちの枕元にも、きっとプレゼントは置かれるのだろう。
きっとそれはその子のお父さんかお母さんが、こっそりサンタのふりをして、プレゼントを置いているに違いない。

その2「ある社説」
これはご存知の人も多いかもしれないが....
今から110年前、1897年9月21日のニューヨークサン紙に「Yes, Virginia, There is a Santa Claus(そう、バージニア。サンタ・クロースはいるんだ)」というユニークな社説が掲載された。
この社説は8歳の女の子(僕の次女と同じ年齢だ)ヴァージニア・オハンロンからの質問に、編集員フランシス・チャーチが答えたものだった。とても素敵な文章なので、全文を引用する。

 本誌は、以下に掲載される素晴らしい投書に対してお答え申し上げると同時に、読者にこのような素晴らしい方がおられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
      ヴァージニア・オハンロン」

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩をたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。
 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。
 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって? ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。
 サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

提供元インターネット電子図書館 青空文庫提供ファイル
翻訳の底本:The New York Sun (1897) “Yes, Virginia, There is a Santa Claus"
(上記の翻訳底本は、著作権が失効しています)
翻訳者:大久保ゆう
2002年10月1日初訳
2007年5月19日作成

英語の原文と当時の新聞画像

その3「NORADサンタ追跡システム」
これは毎年紹介している。今年もアメリカ合衆国とカナダが共同で運営する統合防衛組織である北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が、サンタクロースのソリの追跡をリアルタイムで行う。今年もまた偵察衛星、レーダー、さらには戦闘機をソりと並走させての大掛かりな追跡となる。
NORAD TRACKS SANTA 2007(日本語サイト)
「アメリカ マウンテンタイム(《米》山岳部冬時間)午前2時から追跡を開始」するそうなので、日本時間の本日18時(計算間違っているかも)ぐらいから中継が始まるはずだ。今年はGoogle Earthを使っての追跡も行うらしい。

皆さん、素敵なイヴをお過ごしください。