熊山遺跡

ぶうらぶら

何しろ細かい道はさっぱりわからないのだから、無難に岡山ICから山陽自動車道に乗ることにした。
岡山駅前で借りたレンタカーはマツダのキャロル。ちっこいクセによく走る。コイツで東へと進む。

(仮設カーステレオ。iPodのボリュームを最大にしてヘッドホンから音を流す)

鬼のように電池を消耗するのでスマホのナビは和気ICで降りてから使いはじめた。
ここから熊山へのとりつきまでは、説明できないようなわけのわからない道を走らされた。
吉井川という川の左岸(県道395)は山陽本線と断崖に挟まれて車一台通るのがやっと。
「おいおい対向車が来たら完全にアウトだぞ、こりゃあ」と思いつつ。ダッシュで駆け抜けた。

(奥吉原付近)

奥吉原という集落から、熊山への登山道へと入る。
よほど地図を拡大しないと表示されない道なのだから、覚悟はしていた。
実際に登りだすと大変な道だということに気付いた。

(土砂崩れが道の半分をふさいでいる)

時折現れる両側が切り立った崖という展開はなかなかスリリング。剥落しやすい岩からなる崖だ。道路にも沢山岩が転がっている。
フロントウィンドウにゴロンときたら、ヤバいだろうなと思いつつアクセルを踏んで通り抜ける。こういう時にキャロルはグイっと進んでくれる。なかなかガッツのある車だ。

(「落石注意」)

そんな走行を40分以上続けただろうか。ようやく山上に到着した。思ったより広い駐車場がある。
ここからは山道を500mほど歩く。「ご自由にお使い下さい」と杖があったのをこれ幸いとばかりに使う。

「山道」と言っても、比較的標高差もない楽な一本道だった。

途中には天然記念物の「熊山杉」があり、

ガマガエル君もいた。

ほどなく視界が大きく開けて、広場へと出た。
そして眼前にこれがドーンと入ってきた。
熊山遺跡
これが熊山遺跡。人呼んで「日本の階段ピラミッド」だ。
熊山遺跡
ウワサには聞いていたけど、なかなかこれはわけがわかんないぞ。
マヤ文明の階段ピラミットとか、なんとか文明のかんとか遺跡とか、そういう日本ではないどこかの古代文明の遺跡が脳裏に浮かぶ。
熊山遺跡
熊山遺跡
ぐるっと一回りしながら撮影してゆく。結構こういう遺跡関係は見てきたけど、どうもこれには日本人が作ったという感じがしない。

近くにあった解説版にはこう書かれていた。

「国指定史跡 熊山遺跡」
(管理団体 岡山県赤磐市 指定年月日 昭和三十一年九月二十七日)
この遺跡は、熊山山頂(五〇八メートル)に在って、全国に類をみない石積みの遺構である。ほぼ、方形の基壇の上に、割石をもって三段に築成している。第一段は南面が狭く、北面が広い台形、第二段は、南面が広く、北面が狭い台形になっている。第二段の四側面の中央に(がん)が設けてある。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で堅穴の蓋がしてある。

 石積の中央には、堅穴の石室(約二メートル)が作られていて、その石室に陶製の筒型(五部分に分けられる)の容器(高さ一・六メートル)が収められていた。この陶製の筒の中に、三彩釉の小壺と文字が書かれた皮の巻物が収められていた。と伝えられている。

 陶製の筒型容器と三彩釉の小壺からみて、本石積遺構の築成年代は、奈良時代前期で、三段の石積の仏塔と考えられる。

 また、熊山山塊には、現在大小三十二基の石積の跡が確認されている。国指定の石積遺構に類似しているが、築成の目的、年代、築成者などは異なるものと思われる。


この遺跡の特徴は、平べったい石を沢山使用している点だろう。さっき道すがらゴロゴロしていた剥離しやすい石がまさにこんな感じだった。石はこのあたりのものを使っているに違いない。
熊山遺跡
城や寺院の石垣に使われる石にはこんなに平べったいものを、こんな風に荒くは積まないだろう。もっと丸みを帯びた大石を緻密に積んでゆくと思う。奈良時代の石垣の築造レベルが、戦国時代より劣っているのは当然なんだけど「荒っぽくてありあわせ感が強い」というのが、この遺構から受けた印象だった。技術的な集団というよりは、何か宗教的な理由で集まったフツーの方々...その中に異国の人がいたかのかもしれない....が造り上げたもの、という印象を得た。

遺跡のそばに展望台があって、そこから瀬戸内海が見渡せた。

海峡の向こうに見えるのは小豆島らしい。

帰りは今来た道を戻らずに、南側(国道2号線のある側)へと山を下っていった。
こちらの道の方は、比べものにならないぐらい整備されていた。
大回りにはなるけど、一旦国道2号に出て、374号経由で和気ICに戻った方が全然早いということに気付いた時には後の祭だった。

【熊山遺跡】

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