デイヴ平尾死去

おみおくり

唐突にこんなニュースが入ってきた。

ザ・ゴールデン・カップスのリーダー、デイヴ平尾氏死去
デイヴ平尾氏(本名平尾時宗=ひらお・ときむね=「ザ・ゴールデン・カップス」リーダー)10日午前、食道がんのため死去、63歳。横浜市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。
 66年にグループ・サウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」を結成、「長い髪の少女」などがヒット。72年に解散した後はソロに転じて音楽活動を続けた。2004年公開の記録映画を機に再結成し、ライブなどに出演していた。 (了)(2008/11/10-21:54)

一時的に在籍したケネス伊東やアイ高野も、すでに亡くなってしまったが、中心メンバーでかつ「Hama Rock」の誕生から成長まで見守ってきたデイブさんの死は、何とも寂しい限りだ。

デイヴさんは中区本牧の米軍相手のクリーニング屋さんの倅として生まれた(たしかキタさんの義母さんが同級生だったはず)。1966年に結成されたThe Golden Cupsでリーダー兼メインボーカルを担当した。Cupsはグループ・サウンズのブームに乗って出てきたため、一応「GSのグループ」という位置づけだけど、そのテクニックといい、音楽の方向性といい、明らかに他のグループとは異なっていた。

僕はGS時代のJ-Rockの双璧はThe SpidersとCupsだと思っている。SpidersはBritish Beat Rockの影響を受け、GSブームに自らを完全に適合させながらも、どさくさに紛れに好きな音楽をやっていた。それに対してCupsは「日本で最新の音楽が最もすばやく入手できた」本牧発のグループだけあって、最初からコアなR&Bを志向していた。ハナから好きな音楽を全開でやっていた感はある。会社の戦略で職業作曲家に「嫌々歌わされた」という「長い髪の少女」の大ヒットはあるが、その成功によって、より好き放題ができるようになってしまった経緯もある。

「Hey Joe (1966)」

とりわけルイズ・ルイス加部のベース・プレイが強烈な「Hey Joe」。ここまでソリッドな音は当時の日本では皆無。日本のロック史に残る名演だ。

お次はGSシステムの中で歌わされた「愛する君に(1967)」。

ステージでメンバーがニコリともしないのは、Cupsの不良性を前面に出すための戦略だったらしい。司会のテンションに対して醒めた苦笑いをしているのが、いかにもデイブさんらしい。
2004年の渋谷公会堂でデイヴさんは言っていた。「当時はこの曲が大嫌いだったけど、年とってから"結構いい曲だな"と思えるようになったよ」。

Creamのカバーで「I’m So Glad(1968)」

フツー、1968年にTV番組でCreamのカバーはしないよな.....

後追いで彼らの音楽に触れた僕にとって、2004年の渋谷公会堂で行われたCupの再結成ライブが初めてのリアルCups体験だった。
デイヴさんは足を外股に開き、マイクを右手に、コードを左手に持ちながら、やや横向き加減に歌うという独特のスタイルで歌っていた。ステージの横にソファが置いてあって、デイヴさんは自分が歌わないときは、そこに座って飲んだくれていた。

デイヴさんは飲んだくれているのがスタイルだったようだ。このライブから数ヵ月後にマイカル本牧の映画館で行われた彼らのドキュメンタリー「ワンモアタイム」の公開プレミア・ショーでも、舞台挨拶で飲んだくれていたっけなぁ。

11月28日には久しぶりのイベントを東京で行う予定だった。今のところ残ったメンバーでイベントは続行される見込み。

コーラでも一杯やりながら、久しぶりに「ワンモアタイム」のDVD(3枚組)でも見ようかと思ったら、あっそうかBonHommeさんにお貸しているんだ。んじゃ1stでも聞こうと思ったら、職場に飾っているんだったっけな....

デイヴさん。あの世でもたらふく飲んでください。
心からご冥福をお祈りいたします。

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