勝手にデイヴ平尾氏を追悼する会 at 夕凪
仕事終えてから、屏風ヶ浦の居酒屋「夕凪」へ。
ここへ来れば「今夜は」誰かいるはずだ。そんな確信があった。
一昨日、The Golden Cupsのデイヴ平尾氏が亡くなった。
店主の夕凪さんは生前のデイヴさんと親交のあった方で、
結婚式の披露宴では、デイヴさんに歌ってもらった思い出もある人。
だから今日は誰かいるに違いない。
案の定、お店でニャンコ先生がチビリチビリやっていた。
こうして「勝手にデイヴ平尾氏を追悼する会」が始まった。持参したCupsの"Album No.2″をB.G.Mに、あれやこれやといろんな話が出てきた。そうしたら隣で飲んでいたジャックスと早川義夫が好きな人も話に加わって、結局、2時間半の飲み(あたしゃいつもコーラですが何か)となった。
結局....結局こういうことだ。
少なくとも1966年頃までの日本のミュージック・シーンは、レコード会社が圧倒的な力を持っていた。レコード会社には専属の作曲家がいて、契約を結んだアーチストには、その作曲家の作った歌を歌わせるのが普通だった。
そこにグループ・サウンズの連中が少しずつ風穴を開けていった。彼らはレコード会社から提供を受けた楽曲もやりながら(むろんヒット曲に直結するのはこういう「ツボ」を心得た曲だった)好きな音楽も追求した。
だから当時のGSのグループの多くは、「二重人格」とも言える混在したコンテンツをひとつのディスコグラフイーの中に収めている。
たとえばThe Golden Cups。
昨日紹介した「Hey Joe」のような先鋭的でソリッドな曲をやる一方で、「長い髪の少女(作曲は"恋の奴隷""恋のハレルヤ"などの鈴木邦彦」といった歌謡曲然とした曲でヒットを飛ばしている。The Spidersは「夕陽が泣いている」「風が泣いている(ともに作詞作曲は"バラが咲いた"の浜口庫之助)」のイメージが強いけど、初の国産ロックといえる「フリフリ」や、国産サイケデリック・ロックの「なればいい(ともに作詞・作曲かまやつひろし....近年グランジ系のWellwaterConspiracyが「Nati Bati Yi」というデタラメの日本語タイトルでカバーした)」といった意欲的な作品を生み出した。
こうした二重人格があったからこそ、Cupsは"No.2(1968)"や"ザ・フィフス・ジェネレーション(1971)"という名盤を出すに至ったし、SpidersはJ-ROCKの黎明期を告げた"No.1(1966)"や、"明治百年すぱいだーす7年(1968)"なんていう歌謡曲とロック分裂気味の不思議な名盤、そしてかまやつのソロだが、"1960’s トーキョー"のシャレた雰囲気を凝縮した"ムッシュー(1970)"などを歴史に残すことができた。そして、GSのブームが過ぎ去った後も、この「残党たち」はしっかり1970年代のミュージック・シーンを支えていった。
売れる曲を歌う一方で、やりたい曲もやる。こういう過渡期のバランス感覚が、確実にレコード業界のシステムに風穴を空けた。わずか数年で音楽業界は激変し、「やりたい曲だけをやれる」多くのグループやアーチストを生み出していったわけだ。
そういうところに、デイヴさんの功績があり、ムッシュの功績がある。
(Wellwater Conspiracyは他にもカーナビーツの「すてきなサンディー」をカバーしている。彼らが最も評価しているのはCupsの"Hey Joe"であることが、日本のガレージ系GS研究サイト"Cutie Morning Moon“さんの、WellwaterConspiracyのページに書かれている)
とまあこんな話を「夕凪」さんでしていたわけじゃないんだけど、一曲一曲を聞きながら、あらためて皆でその音楽の先進性に感心しながら、時間を過ごしていた。
「4年は進んでいたね」とニャンコ先生がつぶやく。
夕凪さんが、
「んじゃ、珍しいモノ見せてあげるよ」と言って、お店のビデオデッキに一本のビデオをかけた。
1989年11月18日に行われた夕凪さんの結婚披露宴に、デイヴ平尾氏がゲストで出演。元ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの和田静男氏のギターをバックに「長い髪の少女」「愛する君に」を歌ったその時の私家版映像だ。今日は故人を偲んで見ていたのだろう。デイヴさんも若いが、夕凪さんも若すぎる。
「これ、Youtubeに公開してもいいんだよね~」と夕凪さん。
この時期のデイヴさんの映像は珍しいはず。
ましてや私家版だから貴重品だ。
「やりましょう」。
ニャンコ先生によれば、当時からデイヴさんは「"長い髪の少女"は(歌謡曲なんで)歌いたくないんだけどね」と公言していたらしい。僕は2004年の渋谷公会堂で「"愛する君に"は当時は好きじゃなかったんだけど、今聞くとなかなかいい曲だ」とデイヴさんがMCしていたのを覚えている。
そんな2曲を「愛する二人」のために、デイヴさんが歌っている。本当は「One More Time」あたりを歌いたかったんだろうけど、TPOをちゃんと考えて、デイヴさんはこの2曲を歌っている。これがGSを生き抜いた人間のバランス感覚なんだろう。
ついでを言えば「長い髪」のイントロの部分で、デイヴさんがステージに出てこないものだから、ギターの和田さんが会場をキョロキョロ探して「デイヴ平尾」と呼びかけているのがわかる。やってきたデイヴさんに和田さんが苦笑しているのがわかる。結局バンドは8小節多く演奏している。
デイヴさん、自分の出番をそっちのけで飲んだくれていたに違いない。
○BARKS記事 – [追悼]デイヴ平尾、ザ・ゴールデン・カップスが残した軌跡
○11月15日より公開の映画 – GSワンダーランド(Cupsとは直接関係ないかもしれないけど「ファズる心」は一緒だ)
ディスカッション
コメント一覧
うわ、ハヤ!!!
今回はデイブさんの思い出として初公開です。
ありがとうございます。
平成元年に六本木のTSKCCCです。
ギターはダウンタウンブギウギバンドの和田静男さん、ドラムも同じく鈴木洋行さんです。
貴重な映像ありがとうございます。
なんか得した気分です。
改めて御冥福をお祈りいたします。
黒い髪のデイブを見たのは初めてです。
平成元年、20年前ですね!
>夕凪さん
貴重な映像どうもです。
今回はマルチタスクで、あっという間に仕上げてしまいました。
「来週はジュリーの結婚式」には笑いました。
それはそうと、もうすぐ結婚記念日じゃないですか。
>ひょうきんさん
横浜のあちこちにこういう「私家版」の貴重な映像...デイヴさんに限らず...眠っているんじゃないかと思います。
発掘してみたいですね。
>あきなべさん
デイヴ氏が「この曲は21年前に歌った曲です」みたいなことを言ってますが、丁度折り返し地点だったんですね。
そんな事はるか昔に忘れました・・・
いや、忘れたらいかんですがな。
僕も11月です。
告別式に参列してきました。
終わったらすぐ帰るつもりでしたが火葬場まで行き、精進落としまで参列しました。そこではずっとエディ藩さん、ルイズルイス加部さん、中村裕介さんと一緒で沢山お話しが出来ました。
更にその後帰ろうとしたらエディさんが帰っちゃうのと言うから一度帰り店の準備だけして後は任せエディさん、裕介さん、デイブさんを最後まで看取ったHさんと4人で飲み最後のお別れ会をしました。
そして裕介さんは夕凪まで来てまた飲みました。
それはそれはお疲れ様でした。
多分行かれるだろうな、とは思っていましたが、メンバーの方々と最後まで飲まれたのですね。
夕凪さん、こんにちは。長い髪の少女です(マリ)です。デイヴさん、日本で歌唱賞も受けずに逝かれて残念でしたね。YouTubeで夕凪さんが送られたデイヴさんの動画、拝見しました。どうもありがとうございました。♪あなたから送られた手のひらの宝物。一粒の貝殻は夏の日の愛のしるし(これはジャガーズの「♪二人だけの渚」。) 夕凪さん、これからカップスにどうしてほしいですか?私は洋楽バンドでひらすら頑張ってほしいのです!!デイヴさん亡くなってしょげてる場合じゃないんです!!カップスにはこれからも素晴らしい音楽を継承してほしいんです。それから12月初旬にエディさんが陳信輝さんと、かたや李世福さんと新宿で連続ライヴをされるとか伺いました。夕凪さん、エディさんにご伝言お願いします!!陳信輝さんとのライヴで、「ラヴ・イズ・ストレンジ」という幻の曲を陳さんとお二人でインストゥルメンタルで演奏してほしい伝えてくださいね!!「ラヴ・イズ・ストレンジ」はスリム金作さんの歌で、李世福さんのお兄さんの世雄さんが作曲した幻の名曲です!!これをエディさんと陳さんが二人で弾くと最高なのです。よろしくお伝えください。私は明日JCBホールの「ザ・ゴールデン・カップス×スーパーユニット スペシャル・ライブ2008」(デイヴ平尾追悼ライヴ)に友6名と主人と共に聴きに行くのでデイヴさんへの献花を作り終えたところです。悲しい雨が降りそうですね。それではまた。お元気で。私たちの席は2列目と5列目です。
夕凪さんへ追伸です。
「エディさん!!アルバム
“NEON CITY”の中から
『♪ミッシー・ブルース』と
『♪オン・ザ・サニーサイド・ストリート』も歌ってくださいね!!」★
♪どうぞ お願い
今すぐに バラを運んで赤い赤い小鳥よ
トゲのある バラを運んで
♪そのトゲを 胸にさして
血を流したい
♪ちぎれた恋の なきがら
涙なんか かれはてた
(「♪薔薇のレクイエム」これもジャガーズですね!!)