猿ヶ馬場峠(聖高原)の廃ガソリンスタンド
長野県の話、続きます。
差切隧道に感動した後、雪の猿ヶ馬場峠を越えて姨捨まで行く途中、峠を越えた所(聖高原)でみた廃ガソリンスタンドです。
(今となっては懐かしい三菱石油のガソリンスタンド)
三菱石油の後進であるJX日鉱日油エネルギー(ENEOS)の公式サイトによれば、三菱石油では1995年に建物のカラーリングをグリーンとイエローを基調としたものに変更しているそうです。これはそれ以前の三菱石油カラーを残した貴重な商業遺産といえるでしょう。
誇らしげなスリーダイヤのマークは、実は立体感を出したペイントをされていたことがよくわかります。
いっぽう、北側のマークは退色が激しくて注意しないと何がなんだかわかりません。
北側の給油機は完全に雪だるま状態ですね。かすかに窓ガラスに「マスダ石油」とあるのが確認できました。
比較的雪に埋もれていない南側の給油機は当時の構造がよくわかります。給油メーターはアナログ表示で、カウンターがぐるぐる回る形。
両サイドに給油ポンプがあって、左側は判読できませんが多分「レギュラー」だったのでしょう。そして右側には「ダイヤモンド」とあります。要はハイオクのことですね。調べてみたら三菱のハイオクは「三菱スーパーガソリン(1956?)」⇒「ダイヤモンドガソリン(1964)」というように何度か商品名が変更されているようです。思い出すのは三木鶏郎大先生のこの曲でした。
(ザ・ピーナッツ「三菱スーパーガソリンの歌」)
Youtubeのサムネイルにも登場するスリーダイヤ看板。永年の風雨と雪のせいだろうか。崩壊寸前。
地理学者の市川建夫さんが書かれた「信州の峠(1972)」によれば、猿ケ馬場峠は古くから交通の要所だったところで、近世以降は「北国西街道」として関西から善光寺参りへ向う際の最短コースとして利用されていたのだそうです。松尾芭蕉も「更科紀行」で姨捨の名月を愛でるためにこの峠を越えています。
(使いづらくなったGoogle MapではDのバルーンの位置)
現在の国道403号に当たるルート…僕が車で越えたルートは、そもそも昭和16(1941)年に県道として開通したものです。
そして昭和38(1962)年からは峠周辺の聖高原でリゾート開発が開始されました。
一時は長野でも人気のあるリゾートだったようで、何よりも景色の美しさがウリだったようです。
こうしたことから昭和48(1973)年には道路の拡張工事が行われました。これはどっと押しかける観光バスをさばくために道が背負う宿命ですね。
廃墟となったスタンドの雰囲気からみても、この10年間に営業を始めたのだと思います。僕は昭和40年頃ではないかと思っています。
昭和61(1986)年に長野自動車道が開通し、都心や関西から聖高原へのアクセスも格段と便利になりました。さらに平成5(1993)年に峠の松本側上り口に麻績(おみ)インターが完成しました。それと同時期に県道は国道に昇格しています。
本来ならば聖高原はリゾートとしてますます発展しましたとさ、よかったねと言いたいところなのですが、僕が訪れた聖高原はスキーシーズンにもかかわらず閑散とした雰囲気で、このガソリンスタンドがそれを象徴していました。
(Google Street Viewにあった夏場の同GS)
やはりバブル経済の崩壊がこの地域に与えた痛手の大きさなんでしょう。
それよりも大きいのは長野自動車道の開通なのかもしれません。アクセスが容易になったということは、時には諸刃の剣となります。広い白馬八方や野沢温泉などの北信地方のスキー場へとお客さんが流れていってしまった、というのが大きいのではないかと思います。
誰が言ったか「雪はなにもかもを隠す、嫌なものまでを覆い尽くす」というセリフがあります。
だからこそ撮影したくなったのかもしれません。
ディスカッション
コメント一覧
漫画のブルージャイアントで主人公の大のアルバイト先のガソリンスタンドが、閉店の方向になるために店長が解雇を言い渡すシーンがありましたが地方都市の実情をよく表した場面でした。
経済が停滞してる地域のガソリンスタンドに多くて一千万越えというタンクの交換改修費用がのしかかった場合、廃業というパターンが多いそうですね。あとは車の燃費性能が上がったこととによる一台あたりの収入減は、地方のスタンドには大変だと思います。
家とガソリンスタンドの距離間広がるため、これまで乗ってきた乗用車の燃費性能では北海道などでは立ち行かなくなるために、より低燃費の車が売れるという図式になります。低燃費の車に乗れない若者が地方から去って行くというのは、ガソリンスタンドの閉店一つでも非常に重要な事項だと地方へ行くと痛感します。
ガソリンスタンドといった民間インフラと、道路や橋などの公共インフラが今後どういった方向性で運営していくのか、地方都市にとって死活問題でありトラフィックデザインの転換点です。道路や橋やガソリンスタンドが何時迄もあると考えている人がまだ多い現状では真剣に捉えている人は少ないのですが、東京オリンピック後のそれなりの特需が終わった後に待ち構えている現実は地味で切実な問題が溢れるだろうというのは想像がつきます。00年代に商店街が消えて買い物難民が出たように、ガソリンスタンドが潰れるというのはシグナルでその後何かがあるというのをよく考えています。イオンモールで日本全国どっこも同じ風景になったけれど、ガソリンスタンド潰れたらまた日本全国同じになっちゃうのかと。考えはまとまりませんが、いつまでも異物が点在する日本であって欲しいです。
>ケンモツ君
一軒のGSの廃業の背後にあるものを丁寧に書いてくれてありがとうございます。雪景色の廃墟に心を奪われて、そういった点について考えなかったことがが悔やまれてなりません。
都会はもちろんのこと、長野の平野部でもそうなんですが、ついつい消費者に安いGSを選ぶ権利が発生しますから見えにくい部分ではあります。
しかし、この峠の上にあったGSもまさに然りでした。現在は給油するためには山の下(麻積IC付近か千曲市内)までくだらなければならず、その距離は15km以上はあるでしょう。往復で30kmというのは深刻な事態です。この地域では暖房用の灯油はもちろんですが、ガソリンを確保するというのも死活問題なわけです。不便になれば人口が減少し、人口が減少すればますます不便になるという負のスパイラルの中で、いかにインフラ面で「不便」を克服するか?ということを考えなければならないわけですが、ことガソリンひとつ考えても現行のガソリン販売システムや法制度では難しい問題ですよね。
異物を遺物にしないようにするには、どうしたらいいのか?
またお会いした時に考えましょう。