ある判決
3月28日、横浜地方裁判所である判決が言いわたされた。
1998年7月、港南区の県立高校1年生だった小森香澄さんは、同じ吹奏楽部の同級生によるいじめが原因で自殺した。
いじめの状況や、自殺に至った経緯については、「日本の子供たち」というのサイトの、「裁判情報」→「子供たちは二度殺される」に詳しいのだが、これによれば、
強い口調で言う。背中を手で叩いたり、肩をきつく叩いたりする。
アトピーのある香澄さんに対して、「あんたの顔はきたない」「汚い顔を直してから学校に来な」「汚い顔。見せるな」と言う。髪型を変えると、「似合わないことすんな」と言われる。吹奏楽部の練習中、「あんたがいると、コンクールに勝てない」と言われる。全く無視されたかと思うと、ストーカーのようにつきまとわれた。
とある。
こうしたいじめに対して香澄さんとご両親は、学校側への対策の要請、相手側の女生徒へいじめをやめるようにというお願い、さらには県立青少年センターへの相談に至るまで、さまざまな対策をとってきたが、学校の姿勢には真摯なものがなく、相手の女生徒は「いじめなんかしていない」という態度だった。そして、1998年7月25日、彼女は自宅のトイレで自殺したのだった。
2001年7月23日、ご両親は県と女子生徒3人に対して、約9700万円の損害賠償を求めた訴訟を起こした。
その判決が28日、横浜地裁で言い渡されたのだ。
Yahooニュース(時事配信)によれば、女子生徒1人に56万円、県に330万円の支払いを命じた。とある。
これによれば、裁判長は女生徒のいじめに対し「不法行為」を認定し、学校(神奈川県)に対しては、注意義務違反があったとしながらも、香澄さんが自殺に至るまでの因果関係については認定できないという判決だった。
判決文を読んでいないので、推論で言うしかないのだが、裁判長はいじめの行為に対しては人権侵害行為であることを認め、高校側にいじめを阻止するための配慮に欠けていたことを認めた。ということだろう。だが、その一方でいじめが自殺に至った原因であるという確たる証拠がないということから、このような判決になったのだと思う。
さて、当校の生徒さんにエッちゃんという女の子がいる。
彼女は香澄さんの大の親友だった。
そして被告人となった女子生徒をよく知っている人でもある。
僕は彼女からこうした事件があったこと、
裁判が進行中であることを聞いたのだ。
僕はエッちゃんに香澄さんについて「どんな子だったの?」と尋ねたことがある。
その返事は正直いって意外なものだった。
「彼女はクラスでも”笑わせ役”とでもいうのかな、とても明るい子だったんです。私もあの子(被告人となった元女子生徒)にはいじめられていたけど、私は逆ギレしたために、それからいじめが無くなった。それで助かったのかもしれない。」
またこんな話もしてくれた。
「いじめって、特に女の子同士はそうなんだけど、言葉によるものが多いんです。だから証拠が残らないんですよね。」
立証できない裁判だから見通しは厳しいということだ。
「でも凄い弁護団がいるんです。最高裁まで争う構えでいますよ」とも言っていた。。
今回の判決(もかしたらエッちゃんも傍聴したのかもしれない)では、県と女子生徒に対して一定の責任を認めながらも、いじめ→自殺という因果関係を認めなかった、これを受け止めたご両親は正直どのような思いでおられるのだろうか?
二人の娘を持つ父として、この問題はく他人ごとではないと思っている。
こういうことについて考える機会を与えてくれたエッちゃんと香澄さんに、感謝している。
最後に香澄さんが生前に残した言葉を記そう。自殺する6日前、母親をコンビニへ行った香澄さんが帰りにこぼした言葉だ。
「やさしい心が一番大切だよ。この心を持っていない、あの子たちがかわいそう」
ディスカッション
コメント一覧
「やさしい心が一番大切だよ。この心を持っていない、あの子たちがかわいそう」
本当にそうなのであろうか?
その子達は本当に優しい心を持っていなかったのだろうか?
それよりも”間合い”を知らなかったような気がします。ここまではOK。ここから先はNG。
痛みを知らぬが故に、”間合い”を知ることが出来なかった。
その行為を誰が責めれるのでしょうか??
誰が”痛み”を指導することが出来たのでしょうか??
なんて。
起こってしまったことは取り返しが付かない。
結果的に香澄さんの死が多くの人を不幸にした事実だけが残ってしまった。
いじめは駄目ですね、絶対。
なんて、言葉で片付けられる問題じゃないですが。
>59喉
やあ、NHKの寺山修司は見れたかい?
あっという間に終わってしまったね。
やさしさって何だろうと考えると、結局相手の心の痛みを認識できるところから生まれてくる思いやりだと思う。”間合い”を知らなかった、ということだけど、やさしさを知らないから間合いもとれない。だからこれは表現としては表裏一体だと思うよ。
真澄さんは15歳の少女の言葉で語っているから、こういう表現になったのだろうね。
一方加害者の元女生徒についてだけど、知らないがゆえの罪であろうと社会的には罪になりうることは多々ある(ケースは違うけど過失致死という罪状もあるからね)。そういう意味では責めるに価した行為をしたと言えるだろう。ただ、それが罪になりうるかというのはたしかに別問題。今回は小額の賠償金という形での罰を受けたわけだけど、これは法律の運用上から生まれたギリギリの遺族に対する救済措置だと感じた。
でも結果的に自分の「いじめ」で人間ひとりの命を奪ってしまったっていう罪の意識は罰で贖えるものではない。それははるかに重くて、彼女は一生その罪を背負ってゆくのだと思う。彼女を知る社会からは責められると思うし、事あるごとに後悔するのだろう。
それにしても何ともやりきれない話だね。
ヒトの心の痛みを知ることのできる人間になること。
痛みを知ったら自分の行動を制御できる人間になること。
これがすべての原点だと思う。
raさんのコメントは推定や想像が多く、その上に立って他人を中傷していると判断したので、公開を留保しました。その一方であなた自身の言葉の裏にあなたのたどってきた人生の辛い経験の片鱗を感じました。
あなたの意見を直接聞いてみたく思います。あなたはインターネット上の匿名コメント者かもしれませんが、僕はリアルな存在ですし、いつでもUSボーカル教室横浜南校におりますよ。
非公開にするいじめですか?
結局そうやっていじめが始まるのですよね。
自分の意見にあわない。むかつく。ってね。
実感できます?
推定や想像っていいますが、当人以外の人間は、推定や想像で
うごいているしかないわけで、
その子を知ってたとされる人だって、「そーゆー感じの子だった」って《自分》の印象を語ってるにすぎないではないですか。
本人の全てが解らなかったからこの事態になったと思うのですけど…
裁判ってのは絶対的な真実を語っているわけではないのです
世論に押されてってのが絶対的にあるのです。
裁判は、その全てが推定、推論…そして決め付けなんですよ。
真実かどうかわからないのに、
「人を殺したいじめっ子」って決め付けて中傷してはいませんか?
加害者とされる人をいくらこき下ろしても、正当な行為。
被害者とされる人間に意見すると、中傷。
そーゆーの怖いですよ。
物事を1つの方向からしか見ない、見れないというのが、争いを生むのではないでしょうか?
「いじめっ子」には、弁護士なぞいらんし、早いとこ判決だしてしまえ!って考えでしょうかね?魔女裁判ですよ。それ。
「絶対的なモノは絶対無い」
なんて、矛盾で世の中成り立っていますが(笑)
其れは兎も角。
裁判の意義を唱えることは、此処ではあまり重要な問題ではないと思います。
結果論になってしまいますが、一番悲しいのは一人の女の子が死んでしまったという事実なんですね。
何故、死ななければならなかったのか?
家族、友人が居ながらも何故、死ななければならなかったのか?
程度こそあれ、いじめは何処にだって存在します。
でも、それは永続的なモノとは限らない。
解り合える日が来たかもしれないし、まぁ来なくても係わり合いを持たなくていい日が来たかもしれない。
死ぬ勇気があったのに、何故生きる勇気が無かったのか?
いじめを無くすことは出来なくても、その中でも生きていくことの意義を見出すことが出来れば幸い。
raさんの「当人以外の人間は、推定や想像でうごいているしかない」というのは正にその通りですね。
でも、それも一つの真実である故、我々は其処から何らかの答えを導き出さなくてはならないのです。
そして、知るしかないのですね。
「これはやってはいけないことなんだ」って。
raさんは、物事を1つの方向からしか見ない、見れないというのが、争いを生むのではないでしょうか?と仰っていますが、自分は貴方も物事を1つの方向からしか見ていないように感じられます。
最も、多角的に見れる方なんて中々居ないでしょうね。
頭では解っていても、その時の感情によっても変わってきてしまいます。
ただ、最も悲しいのは死んだ人間ではなく、残された者達であると私は思います。
>raさん
別にいじめではありませんよ。
私はこのblogの管理人でもあり、当サイト全体のWebmasterでもあります。こうした貴方の発言に対してそれをインターネット上で公開する責任のある立場であることをお忘れなく。
raさんもインターネット上のルールについてはご承知かと思いますが、たとえ第3者が掲示板上に特定の組織や人物を中傷する発言をしたとしても、責任を負うのは掲示板の管理人なのです。それが賠償責任にまで発展する例があるのもご存知かとは思います。
僕は裁判の経緯や一般的に周知されている事実関係、そして二人を良く知る人から伺った話を元に事実関係を述べています。加害者女生徒に関しても「罪」と「罰」という言葉で弁別し、
「結果的に~なった」という表現を使うことで配慮したつもりです。
それに対して、raさんの方はクエスチョンマークを多用しながら書いていますね。それが意見であるうちはいいのですが、一番被害者に身近な人間を名指しして「誰々が殺したも同じ」といった発言まで書かれていました。またご両親が設立されたNPO法人に関する資質を問う発言もありました。
この発言に関して、いかなる責任を負えというのでしょうか?
ですからコメントを「留保(削除ではない)」しました。もし貴方に明確な根拠に基づいた意見があるのならば、僕は貴方からも直接お話を伺いたく思います。ですから「いつでもUSボーカル教室横浜南校におりますよ」と書いたのです。