電柱好きが見たフランス電柱譚
宮沢賢治の童話に「月夜のでんしんばしら(1924年)」というのがある。月夜の晩に電信柱が一斉に軍隊のように行進を始めるという話だ。
「童話」と言いつつも子供にはやや難解な内容ではある。教科書にも掲載されていた「やまなし」もそうなのだけど、彼の童話っていうのは、ストーリーを追うというより宝石を散りばめたような極彩色の言葉の数々、それはまるで緻密なそのひとつひとつの美しい輝きを楽しむものなんだろう。それは音楽を聴くことによく似ている。
「頭で感じずにイメージで感じろ」。これが岩手でも一二を争うレコードコレクターだった宮沢賢治が一番表現したかったことなのだと思う。
「月夜のでんしんばしら」のイメージは「やまなし」よりもずっと鮮烈だった。
戦前の日本によくあった電信柱….三本(上の挿絵では二本)の腕木に勲章のようにずらりと碍子(がいし)を飾った電柱たちが、月夜に長い影を落としながら一斉に行進するというイメージほど潜在意識をかきたてるものはない。
なぜなら….僕は子供の頃から高圧電線の鉄塔や電車の架線柱や電信柱がそびえ立つ光景に惹かれてきたからだ。
6歳まで僕は武蔵小杉に住んでいたのだけど、東横線や南武線の門の形をした架線柱が夕日をバックにそびえる姿は今でも脳裏に焼き付いている。月夜の晩に父に背負われて病院からの帰り道すがら(鼻血が止まらなくなって搬送された)、交差する電線の間をお月様が縫うように動いていた光景は今でも忘れられない。
祖父の家があった杉並区の成田東付近にあった高圧電線(建て替えられる前の骨組みのやつ)を夜に見るのは怖かった。怖いと思いながらもそれはカッコ良かった。一種畏敬の念を抱いていたんだろう。
まあ一言でいえば「電柱フェチ」なのだ。そして宮沢賢治もそうだったに違いないと勝手に確信している(以下、便宜的に電信柱も電柱も「電柱」と表記する)。
そしてこれ。
ドイツ映画の傑作、フリッツ・ラング監督の「M」に登場する電柱のシーン。このシーンは連続殺人犯によって女の子が殺害されたことを暗示させる(電柱に風船がひっかかっている)シーンなのだけど「おっ、カッコいい電柱!」と思ってしまう自分が先にいる。
「M」の舞台はベルリン。だからこの美しい電柱も第二次世界大戦の戦火の中で消えてしまったに違いない。
じゃあ戦前から現存する電柱なんてあるのか?という話なんだけど、どうもフランスの田舎はその宝庫なんじゃないかという本題にようやくたどり着いた。
この電柱、女性的な優美さに溢れている。実にかわいらしい。
先っちょの曲線具合も実に美しい。碍子が磁器ではなく透明感のあるガラス製(あるいはエポキシ樹脂?)というのもポイントが高い。
勝手に「お嬢様タイプ」と命名した。
ヨーロッパでは電柱の地中化が進んでいる。聞けばパリでは地中化率は100%なんだろうだ。僕が寄った小中都市でも必ずと言っていいほど地中化が完了していた。
しかし田舎へ行くと、観光地でもない限り集落内には電柱があったし、集落間のインフラは電柱によって結ばれていた。
撮影したのはアヴェロン県ラ・ソルという集落付近。ここでは「お嬢様タイプ」がずらりと並んでいた。
さて、近くに寄ってみると「お嬢様」が実に歴史的な逸品であることがわかる。
コンクリート内の砂利の含有率が異様に高いのは古建築に共通して言えることだ。しかも年期の入った苔に覆われている。
そのデザインや経年劣化の具合からみると戦前….第二次世界大戦以前….おそらく1920~30年代のシロモノではないかと思った。
だったら「お婆様」じゃないかという気もするがまあいい。
電柱に貼られている注意板も歴史的なもの。多分「触るな」とか「死の危険あり」みたいなことが書いてあるのだろう。
それでは別の電柱をみてみよう。
これはロット県セニエルグの町役場前で撮影したもの。偶然にもWikipediaの[Seniergues]という記事に全く同じ電柱が写っていた。無骨で空洞もなく優美さには欠けるけど、フランス中南部では最も見かけた電柱がこれだった。
あえてこの場所で撮影したのには理由があって、この手のタイプには珍しく正面に刻印がされていたからだ。
あとで解読してみようと思ったのだけど…..これはさっぱりわからない。
「SPIE」と読める部分だが、調べてみると同名の重電機系メーカーがフランスにあった。1900年の創業。
「1943(5と読めなくもない)」と書かれた数字が気になって仕方がないが、これを西暦とする根拠はない。
驚いたことに木製の電柱もあった。
日本の電柱の耐用期限は長くて40年だと言われている。コンクリートを節約するために空洞にしたのかはわからないけど、こんな危なっかしい造りでよくもまあ70年も80年も持っていると思う。
たかが電柱なんだけど、その国その国の気候とか文化とか価値観とか、そんなものが出ていて、じっくり考察してみたら、面白いんだろう。
だけど時間がないからいいや。
ディスカッション
コメント一覧
懐かしい木製電柱。
ポツンと一軒家だった我が家に、昭和40年代、電話線が引かれた。
男衆(九州では「おとこし」と読みます。)が、細い道を電柱を担いで運び、電信柱を建ててくれた。 もう、集落に電話を借りに行かなくても良くなった。
空中を縫う黒い電線は、文明の光でした。
全ての距離感がグッと縮まった。
ご紹介写真にあるフランスの片田舎、
原っぱの向こうまで永遠に続きそうな電柱と電線の連なり。
日常生活では見た事が無い風景なのに、何故か懐かしいのは、
貸本漫画を含む昔のマンガに
風景や転換画面としてよく描かれていて、
潜在的に原風景となったのか。
中原中也の「サーカス」にある、
“ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん”
が良く似合いそうな感じ。
かつて電柱には、電笠に裸電球の街灯がよく付いていましたね。
東京などの都会は知りませんが、
田舎では、子供では届かないギリギリの所に陶器製のスイッチがあり、
近所のおばさん・おじさんが、夕方点灯し、朝に消灯してました。
いたずらに昼間に点灯したりしたら、
ものすごい勢いで怒られたのも懐かしい記憶です。
いつも素敵な記事を有難うございます。
>ラグーン様
コメントありがとうございます。
私も大概生きてきたのでそれなりに語れる「昔」があることはあるのですが、ラグーン様の「初めての電話線」体験は想像の斜め上です。ましてや電波が乱れ飛ぶ今では想像できませんね。今ではビルやマンションの谷間で肩身の狭くなってしまった電柱ですが、昔は空を見上げれば空より先に視界に入ったのが電柱と電線だったと思います。それは時には威圧的だったし、時には親の背中におんぶされながら眺める「流れ」のような風景でした。そんな感覚が自分の原風景のひとつなのかもしれません。
電傘と裸電球は川崎であることはありましたが(1970年頃)、あれってスイッチで入切していたんですか!そんな経験は自分はなかったです。衝撃です。