林家正雀の会-向じま墨亭-

管理人のたわごと

またもや落語の話です。

さて「噺家殺すにゃ刃物はいらぬ、あくびの一つもあればいい」という有名な都都逸があります。

噺家にしてみればとんでもない話なんでしょうけど、 落語を聞きながら寝ると、なぜかよく眠れるんです。 いま、自分の中で「落語」がリバイバルブームになっている大きな理由はそこです。

特にオススメなのが晩年の林家彦六師匠(1895-1982)。前々回の記事で稲荷町のお宅跡を訪れたばかりの師匠です。

師匠には申し訳ないんですが、晩年の師匠には高血圧から来る独特の声のバイブレーションがあります。これがフニャフニャしている。しかもとてもスローに喋るんです。1960年代に比べると80%ぐらいのスピードに落ちている。なんだかそれが心地よくてオチが来る前に眠れてしまうのです。

師匠の「ぞろぞろ」at 日比谷芸術座。1980年12月12日だから ジョン・レノンが亡くなって3日後。

なお、落語家にとっては死活問題の上演中の「あくび」や「居眠り」ですが、音楽では必ずしもそうではないようです。あるミュージシャンと「ライブやコンサート中に寝てしまうお客さん」について話をしたところ、「いや、むしろありがたい事です。僕の音楽を"心地よい"と思ってくれるんですからね」と思いもかけぬ返事が戻ってきたことがあります。

さて、そんな彦六師匠は明治にデビューした噺家の中で最後まで生きた方でした。1981年9月、高校一年生の僕は奇跡的に彼の高座を見ています。亡くなられる4ヵ月前の事でした。

「明治の落語家をみた」。

たったそれだけの体験というか縁というか奇跡が自分の中で師匠を大きな存在にしてしまいました。真面目で頑固一徹で「トンガリ」とあだ名されるぐらい怒りっぽくて、意外とモダンでお洒落なトコロもあって、そんな彼を僕は「明治の精神みたいなもの」の最後の権化だったんじゃないかと思っています。

そして昭和を代表する落語家で、人柄もひっくるめて面白おかしく語られるのは、実は志ん生と彦六ぐらいなんじゃないかと思っています。

そんな師匠の最後期の弟子と言われるのが林家正雀師匠です。
1974年、78歳の彦六師匠に弟子入りした正雀師匠、昨年「なんでも鑑定団」で棟方志功の弁財天像が1,000円と鑑定されてしまったアノ方ですね。彦六師匠に関する著書も何冊かあります。

この方の落語を聞けば、何か彦六師匠の「空気」に触れられるかもしれない。
そんな気持ちをずっと持っていました。

7月15日、色々と仕事やら何やらが片付いたおかげで、幸運にも「正雀の会」へ駆けつける事ができました。会場は向島に5月にオープンしたばかりの「向じま墨亭( 墨田区東向島1丁目10?20 )」です。

築60年の商店(化粧品店)を改装したその寄席は2階の6畳2間続きなのですが、その定員はわずか20名。もう手を伸ばせば正雀師匠に届くという距離だったのです。

寄席の最奥部から撮影したのです。

席亭は演芸研究家で大学講師の瀧口雅仁さん。この方の著書は太平洋戦争真っただ中の彦六師匠の日記を編集した「 八代目正蔵戦中日記 」を読んでいます。

実はこの時まで正雀師匠の高座を聞いたことがなかったんです。何しろ自分は志ん生とか金馬とか三木助とか彦六とか古い噺家の高座ばかりを聞いているものですから。

この日のセットリスト

ところが眼前の師匠の高座を聞いて「凄げー」と思いました。
派手さ、華やかさ、艶っぽさ、...とかではないんです。写実的とも違う。もうホント堅実で地道なんですが力強くて迫力があり、時には鬼気迫る勢いだったのです。「名人長二」では汗だくになっての熱演で、袴に汗が落ちてゆくんです。

とても渋い落語だったと思います。言葉のひとつひとつを大切にされる落語でした。Rockの世界でいうとThe BandとかVan Morrisonのポジション。

考えてみれば彦六師匠だってそうでした。怪談噺や芝居噺を得意とした彦六師匠は、派手さやゲラゲラ笑うタイプの噺家ではありませんでしたが、堅実に噺の舞台に観客を引き込むのが上手でしたから。

それと噺の合間の「えー」が極めて少ないのが印象的でした。 これは彦六師匠譲りですね。

演目は「毛氈芝居」「名人長二」「豊竹屋」という珍しい噺ばかり。ちなみに「豊竹屋」は今でいうボイストレーニングの噺です。この偶然は驚きでした。

彦六師匠の弟子といえば持ちネタに「彦六伝」のある林家木久扇師匠が有名ですが、晩年の弟子だった林家正雀師匠は「正当な彦六の伝承者」と言えるのではないでしょうか。

空襲を免れた向島の街。ここへ来るのは30年ぶり。

中入り後の席亭との対談も面白かったですよ。
彦六師匠の「山猫様」のエピソードは実に師匠らしくて最高でした。

そうそう、印象に残った言葉があります。
瀧口さんとの対談で正雀師匠が「一朝おじいさん」と言っていたことでした。これは三遊亭一朝(または三遊一朝)と言う人物です。昭和5年に彦六師匠のお宅で亡くなったこの人は、決して正雀師匠の実の祖父ではありません。

「一朝おじいさん」は慶応年間に三遊亭圓朝に弟子入りし、圓朝から芝居噺(大道具を使った芝居仕立ての噺)を学んだ噺家です。その芝居噺は一朝から彦六師匠へ、彦六師匠から正雀師匠へと受けつかがれているのです。

「おじいさん」。
さらりと言われた言葉の持つ、気の遠くなるような時間の重み、これこそが伝承文化である落語の魅力なのかもしれません。

さてその正雀師匠の芝居噺の一部ですが、17日のNHK BS「英雄たちの選択」で師匠自ら演じるそうです。「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」がそれです。

いやぁ、熱く語ってしまいました(;^_^A

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