タバコの火を借りるたけです

歴史の切れ端

昭和50(1975)年4月、僕の父方の祖父母の住む町内(東京都杉並区成田東)で本当にあった話。

この街の6軒の家にこのような葉書が届いた。

「おそれいりますが、煙草の火を借してくれませんか?」

葉書の文面は新聞や雑誌の活字を切り貼りしたもので、
当時よくあった脅迫状のような造りだった。

そして翌日には
「わたくしは怪しいものではありません。ほんとに煙草の火を借りたいだけなのです。」

さらに葉書は毎日続く。
「私の特徴。1メートル70、中肉中背、シルクハットに口髭、よれよれのレインコート、小脇に『蝶類図鑑』をもっています。」

「わたしは、4月20日午前10時頃、煙草の火をお借りしに、お宅を訪問します。」

「わたしは玄関をあけて、まず『おはようございます』と言います。それからシルクハットを脱ぎ『おそれ入りますが、煙草の火を借してくれませんか?』と言います。用事はほんとに、それだけです。もしお望みならば、犬頭の男の来歴について、あるいはセルビア地方のサラダの作り方について、あるいは人間ラジオ、地球空洞説などについてお話してもよいのですが、それは万一そちらからの希望があればのことです。何もなければ、タバコの火をお借りしただけで、すぐに退散したいと思います。長居をして、ご迷惑をおかけしようとは思いません。」

「わたしのタバコは、直径1メートル、長さ12メートルもあるような巨人国の葉巻ではありません。ごく普通の煙草です」

「いよいよ、明日です。よろしくお願いいたします。」

そして4月20日午前10時ごろ、恐怖にうち震える6軒の家の玄関に、シルクハットの男が立った。
「おはようございます、おそれ入りますが、煙草の火を貸してくれませんか?」

これは寺山修司が行った「書簡演劇」の一貫だった。寺山はこの街(杉並区成田東)を舞台に、書簡による様々なパフォーマンスを行ったのだった。

葉書の受取人は想像を膨らませ、何かしらの反応をするだろう。
これは受取人が俳優と観客を兼ねるもうひとつの「演劇行為」だと寺山は主張したのだ。

受取人の反応はまちまちだった。
あわててドアを閉め、塀越しにマッチを投げた人(T煙草店)
いたずらだと思っていました、といった人(M商店)
お茶とお菓子を出して接待してくれた人(Aさん宅)
でも誰ひとり火を貸さない人はいなかった、と「書簡演劇全記録」にはある。

その後、寺山の関係者が一軒一軒を訪問し、反応をアンケートしたものがあるが、面白がったAさん以外は憤りを感じており、葉書を「交番に見せようと思った」「ノイローゼになりそうだった」「自分たちの芝居のため、といいながら関係のない人の生活をおびやかした」と語っている。

今から20年ほど前、僕は祖父にこんなことがあったかと尋ねたことがある。
祖父はその件に関しては記憶にないと答えたあとで、こう言っていた。
「あの人は覗きで捕まったりして奇行が多かったけど、日ごろ普通の人が思いもつかないことを考え出すからそうなったんじゃろうね。まあ一種の天才じゃったと思うよ。」

祖父からこういうセリフが聞けるとは思わなかった。

今日で男が煙草を借りに来てから31年たったわけだけど、
今ならこんな事やったら速攻警察沙汰だろうな。

歴史の切れ端