運命じゃ

おみおくり

親父から連絡があり、岡山に住む親戚の「弘さん」が亡くなったことを知りました。

弘さんは「犬神家の一族」風に言えば「本家の当主」です。
親父の従兄弟に当たります。戦時中、父たち兄弟が岡山に疎開していた時はお兄さんがわりになってくれた人でした。さぞかし親父は寂しくなったと思います。

次男坊だった僕の祖父は、東京に出てサラリーマンとなりました。
いっぽう祖父の兄、その息子の弘さんは家を守り続けてきました。
ですから岡山の家を「本家」、我々の家を「東京分家」とする言い方が、祖父の代まではあったのです。

今から18年ほど前のことですが、京都に住んでいた僕は、法事の席上で弘さんに言われたことがあります。
「あんた京都に住んでいるんだから、いつでも岡山に遊びに来んしゃい。家族なんじゃから事前に電話くれる必要はない。とにかくフラっと遊びに来たらええ。もしワシがいなくて会えんかったら、それは運命じゃ」(記憶で書いているのでかなりデタラメな岡山弁です)。

随分面白い言い方をする人だなと思いました。でも素敵な言い方だと思いました。
「そうか、この人とは滅多に会うことはないけど血がつながっているんだな」と思ったし、そう言われると逆に気軽に行けるなと思いました。また「会うも会えぬも運命」という言葉が印象に残りました。本来は重いはずの「運命」という言葉のなんだか気軽な使い方が印象に残ったのです。

この話を親父にすると、親父はこう言いました。
「弘さんは、海軍の予科練にいたんだよ。戦局が悪化するにつれて、自分の死も覚悟していたはずだよ。だから"運命"という言い方をするんだろうね。もっとも終戦直前は燃料集めで枯れ木拾いばかりやっていたらしいよ」。

1996年の正月休み(厳密には正月3が日は仕事だったのでその後でした)を利用して、結婚したばかりの僕とカミさんは二人で岡山を訪れました。事前に連絡もせずに運命に任せてみることにしたのです。
弘さんの家は新幹線の新倉敷の北側の玉島という場所にあります。

そうしたら運命の出した答は「会える」でした。弘さんはいらっしゃいました。
「おお、よう来たよう来た」とご機嫌な弘さんは、僕たち若い夫婦を歓迎してくれました。
2時間ぐらい居たでしょうか。僕が子供の時分に玉島に遊びにきた際の思い出話、祖父の話など色々伺いました。弘さんは「せっかくここまで来たんだから、御先祖様のお墓参りへ行こう」と言い、我々を農作業用の軽トラックに乗せてくれました。

そのお墓は街を見下ろす小高い丘の上、山陽自動車道のすぐそばにありました。
弘さんの話では山陽自動車道を建設するにあたって、移動させられたとのことでした。
僕は御先祖様のお墓なんて、今まで考えたこともなかったし、想像したこともなかったのですが、そこには6基のお墓が並んでいました。
じいさんのお兄さん、ひいじいさん、ひいひいじいさん、ひいひいひいじいさん....
みんな僕と血がつながっている人でした。

弘さんは言いました「この高速道路ができてから、みんな車でトットトットとお墓の横を車で通りすぎて行きよる。じゃけど、この道を通る際は、祖先のことを忘れずにお祈りしてくれい」。

この時、今まで意識したこともなかった「自分はどこから来たのか?」という答を得ることができたのです。

帰り際、弘さんは自分の父(=祖父のお兄さん。郷土史家だった)が書き残した家の歴史に関するパンフレットを何部か僕にくれました。こういうものがあることすら知りませんでした。それによれば、一番古いお墓の主"萬四郎さん"が海を埋め立てて間もない荒地に移住して開拓をしたのだそうです。その苦労があって、玉島は今のような農業地帯になったのだとありました。
だからいま、僕が辿っている道では、この"萬四郎さん"のことを意識してしまうのです。

そんなことを僕に伝えてくれた弘さんの訃報を聞き、何とか都合をつけてお葬式に行けないものかと考えました。
トンボ帰りでお葬式だけ参列できないものか?そんなことをあれこれ考えてみました。でも僕には今の仕事があり、とりわけ発表会の前日に岡山に行くというのはかなりの困難が伴います。それをあれこれパズルのように考えているうちにフト思いました。

「そうか、"行けない"というのもまた運命なんだな」。
都合のいい理由かもしれませんが、そういうことなんだと思いました。今回はそうなりましたが、もし四十九日法要があるならば今度は親父の代わりに僕が行けばいいのだと思います。できれば子供も連れて....「自分がどこから来たのか?」という答も見せられないものか?そんなことも思いました。

まだまだ精進が足りない自分には「何事も運命だ」と達観することは難しいです。何だかそういうものを達観したところにいる弘さんという人と会えたことは良かったと思っています。もちろん「自分はどこから来て、どこへ行くのか」ということを考えるきっかけを作ってくださったことを含めてです。

ご冥福をお祈りするとともに、この一文を捧げたいと思います。

おみおくり