甲子園球場を別の視点で楽しむ
GWを利用して、行ってきました甲子園。
4月30日の阪神*ヤクルト戦です。
築84年の歴史的建造物ゆえ、現在この画像のようにリフォームの真っ最中。外野側の一部をのぞいて外壁をツタの画像をプリントしたボードで覆われています。
「築84年」といえば、日本では最古の球場で登録有形文化財レベルなんですが、仮にそんな話があったとしても、誰も喜ばないという所に半公共建造物の宿命があります。飲んだくれてタイガースへの愛情溢れる悪態をついたり、「六甲おろし」を絶叫したり、ジェット風船を飛ばしたりするトラキチがいる限り文化財指定は不可能でしょう。だからこそ現状を変えてのリフォームもできるわけです。
そんなわけで今回と前回(2004年4月30日=偶然ジャスト4年前)撮影した球場の風景とを織り交ぜながら「築84年」という視点からこの球場を見てみたいと思います。
これは2004年にほぼ同位置から撮影したもの。
そう、一番目の画像では新たに2階席への入場デッキが新設されています。
【ツタ】
樹齢84年といわれるツタ。以前はこのように保護されていましたが....
今年になって完全に伐採されてしまいました。逆にそのために今まで隠されていた外壁部分の装飾がよく見えるようになりました。なおリニューアル後も再びツタに覆われた外見に戻るそうです。
【西宮勤労署甲子園詰所(2008年時点で現存)】
今回、ウロウロしていて発見(この画像だけ、サムネイルをクリックすると、拡大で表示できます)。
このように書かれています。
「~MENT」(~は判読不可能)
「LABOR SUPPLY OFFICE」
「BRANCH OF KOSHIEN NISHINOMIYA」
「西宮勤労署甲子園詰所」
個人的に「下山事件資料館」を運営する手前、GHQ占領期のもの(当時は公的な施設名には必ず英語表記を加えるようにしていた)だろうと考えました。撮影しながら内心「お4年前にここへ来たとき、なぜ気付かなかったのだろう」と思っていました。
帰宅後、上のキーワードでググッて判明。毎日新聞社の兵庫支局長である二木一夫氏が、先々月の3月28日の阪神版で「支局長からの手紙 甲子園に職安」というタイトルで、全くこの内容で記事を書かれていました。それによれば「西宮勤労署甲子園詰所」は今でいう職業安定所の詰所だったようで、今回ツタを撤去したことで、この文字が出てきたようです。
この記事によれば、一般に「勤労署」とよべる施設が存在したのは1945年10月から「公共職業安定所」に改称される1947年4月までの期間だそうですから、この時期に書かれた看板であることは間違いありません。さらに公式サイトによれば、甲子園は1947年1月まで米軍に接収されており、兵士の宿舎として利用されていたそうです。
おそらくは占領軍関連の仕事を差配するための「勤労署」だったのでしょう。
【球場正面】
かつての球場正面。誰もが知っている風景。
すでにリニューアルされた球場正面はこんな感じとなりました。まだ周囲が工事中のため全貌は見れません。
【謎の入口(2008年時点で現存)】
レフトアルプススタンド側。はじめは貴賓室への入口かと思ったのですが、貴賓室はライト側なので関係ないようです。おそらくこの入口も今シーズン終了後の最終工事で消えてなくなるのでしょう。
【その他張り紙やペンキ表示など】
「自動車の通行は試合開始2時間前から試合後1時間後まで禁止」だそうです。場所は不明ですが2004年に撮影したもの。
これも2004年に撮影。誰に対してどのように「自転車の持ち込みを禁止」しているのかがよくわかりません。
扇形に何やら書かれています。右から読むと「第ニ号通門」と読めました。おそらく戦前のものでしょう。2004年に撮影。
かろうじて現存する注意書き。表面がツタの根っこに侵食されていることから、この注意書きもツタの撤去によって「発見」されたんじゃないでしょうか。
それにしてもこうなるまでのプロセスが興味深いです。
注意書きをペンキで書く→新たに男子トイレの扉を築造する→注意書きはそのまま放置→自然とツタに隠される...見てくれをあんまり意識しない関西人気質を感じます。
【その他の造形(2008年時点で現存)】
外野席とレフトアルプススタンド側の境界にあるちょっとした造形。
外壁に現存するちょっとした装飾。この画像を見る限りでは、リフォーム用の緑色の足場をこうした装飾を避ける形で組んでいるようにも見えます。
ツタが撤去されたことで、見えるようになったものも沢山あると思います。84年の歴史を感じさせる雰囲気を残しながら、新たな聖地に生まれ変わってくれたらいいなと、そんなことを思いました。
えっ、阪神*ヤクルト戦の結果ですか?
そりゃあ決まっているでしょう。
金本の2000本安打表彰式、新井の1000本安打表彰式が冒頭のセレモニー。グラウンドに立つ伝説の金田正一を見ることができたのも嬉しいかったです。
先発は下柳。阪神は3回表に2点を失い、裏に逆転にするも4回に再びヤクルトに逆転されるという大接戦。そして最後は新井による感動のサヨナラによって6-5で勝利。その後の球場の狂乱ぶりは物凄かったですよ。
いや~、いい試合でした。
ディスカッション
コメント一覧
野球好きとしては興味深い記事でした!
甲子園は小学校時代に1度、中学校時代に1度の計2回訪れたことがあります。
地元の高校の高校野球応援です。
なので阪神戦は一度も見たことないのです↓
さすが84年の歴史を持つ野球場は違いますね!
Yスタでずっと警備のバイトをしていたため、Yスタのことは隅々まで知り尽くしていますが、甲子園のように
「なんだ?これは?」
と言うものはありませんね。。。
やはり30年の歴史しかないためでしょう・・・。
一度本場の阪神戦を見てみたいです。
あ、それよりも1度ここでプレーしてみたいですね(笑)
甲子園球場には25年以上前に一度行ったきりですが、なかなか興味深い記事ですねぇ。
甲子園には蔦が当たり前で、それが遙か昔どうだったかなんて想像もしませんでしたよ。
試合結果は・・・関根監督時代からのヤクルトファンとしては残念です(苦笑
>Junさん
Yスタの「なんだこれは」といえば、昔は透明なカプセル型のエレクトーンブースがありましたよね。炎天下にあの中でエレクトーンを弾くのは地獄の責め苦だったんじゃないかと。いつの間に撤去されてしまったようですね。
甲子園の阪神戦はやはり別格ですよ。どういう意味で別格かと言えば、あの応援はやっぱ尋常じゃないです。フツーにいっちゃってます。あの雰囲気を楽しみたくてGWの季節に帰省したときは甲子園に行くように心がけています。是非一度は行ってみて下さい...っていうかプレーしたいんですよね~。
>いけさん
おっとヤクルトファン登場ですな。
まあいいじゃないですか、中日(なかび)のおいしいトコロだけ見たわけですから。翌日なんてもうボロボロ.....
ペンキで書かれた注意書きは一体どんだけ昔のものなんだろう。古そうなドアが作られるよりも前なのは確かか・・・
>Tちゃん
ひとつ言えるのは「ツタが生長するより前」ということですね。