僕の上司

こんなスチャダラな僕にもサラリーマン時代があったわけで、今までも様々な上司と出会ってきた。

だけど本当に上司らしい上司だった人は?と尋ねられると、そういう人はとても限られてしまう。
当然そういう評価は逆に自分にもかえってくるだろう。
また僕の上司を経験してきた人たちが、僕のことを「部下らしい部下」と評価しているかどうかは未知数だ。

一昨日の話だが、そうした中でも「上司らしい上司」だった方と、ほぼ11年ぶりにお会いした。

久しぶりにお会いした瞬間は、白髪が増えてらして、何だか小さくなられていたのに驚いた(むこうにしてもヘンなヒゲを生やして1年@1キロずつ増量していった僕にビックリしただろうけどね)。
昔から「ニンニク」が好きな人だったので、以前haruさんに教えてもらった「GARLIC JO’S」へと行く。
会話すると、たちまち昔の上司と部下という関係に戻るから面白い。
相変わらず僕は「オマエ」と呼ばれるし、僕は僕でやりかえして「課長」と呼んでしまう(今は某団体の局長さんなんだけどね)。

懐かしい営業車で移動中のバカ話が戻ってくる....

僕が新入社員で某食品メーカーの関西支社アイスクリーム営業部門に配属されたのは1990年の5月だった。
この方はその時の課長だった。冗談と厳しい言葉とを交互に繰り出してくる人なのだけど、根は温かみや人情味溢れる人だった。人間の「善」の部分を見つけ出して引き出してくるのが上手い人だった。

当時課長席の背後には部長(実はこの方に関しても面白い話があるのだけど後述)がいて、課長はは中間管理職だったから、大変な立場だったと思う。だけどこの方はそれを表には出さないで課員(名称は「○○一課」なのだけど、支社内でも「○○一家」と呼ばれるヤクザな野武士集団だった)を引っ張ってきた。

今考えると僕も相当生意気だったし、課長の手を焼いた部分はあるのだろうけど、何しろ一番ペイペイだったから、色々な意味で重宝がられていたようだ。
たとえば、時には息抜きがしたい時があるのだろう。
そんな時は「おい、オマエ今日はどこへ営業へ行く?」と、たずねてくる。
「ハイ、東大阪の方です」
「よし、オレも行くぞ」と言って営業車に乗り込んでくる。
こっちも「ハハァ、何かあったな」と思うから、
ひととおり客先まわりが一段落すると、
「どうです?この先に景色のいいお寺(筆者は寺社仏閣マニアである)があるんですが、ちょっと寄ってゆきませんか?」なんて言うと、
「しょーがねーなーオマエ、いつもそんなして仕事サボっているんだろう?よし、行け!」
と苦笑する、そんな人だった。
(すいません、食品メーカーの営業って、こういうノリがあります。)
そして車中ではバカ話ばっかりしている。僕から話を引き出すのが上手くて、ついつい僕も話さなくてもいいことまで話してしまう。
だけど、時折チラッとこぼす本音みたいな部分があった。僕のココでの役割が今でも「グチ、聞きます」なのは、
この当時から培っていたようだ。

そして僕が客先と困った時は強力な援護射撃をしてくれる人だった。そして、僕が仕事で失敗したりした時は、注意は「バカヤロウ」のひと言だけで、後はしようもない冗談ばかりを飛ばしてくるような人だった。
残念ながら4年目に転勤されてしまったが、その後も年賀は欠かしたことがなかったし、僕が会社を辞めた後も時折電話をくれる人だった。

「GARLIC JO’S」での話に戻すけど、課長が相変わらずなのはいいとして、その記憶力の凄さに驚く。
僕が当時付き合っていた彼女の父上の会社名まで覚えているのには閉口するしかなかった。
(っていうことは、そんな話までしていたというわけなのだが....)
僕ですら忘れていたような僕にまつわる失敗談やバカ話がポンポン出てくる。
そして決めセリフは笑いながら言う「バカだよね~オマエ」もしくは「面白い奴だね~キミは」だ。
これも昔のまんまだった。

「この人にはかなわないな」....と、ホント思った。
この人はずっと僕の「上司」なんだな....と、ホント思った。
そして、二人にゃ悪いが僕なんかダメ上司だよな...とホント思う。

さて、上で「上司らしい上司」と書いたけど、「上司らしくない上司」もいたことになる。でもそういう人たちも入社した最初からそうだったのではないということだ。この年になってようやくそれがわかってきた。
会社という所は人間を育てる一方で人間を押しつぶすこともある。ある人はマジメに責任を背負ったがために、その責任につぶされた。そういうシステムを知るある人は事なかれ主義に走って巧妙に逃げ回った。あくまでも自分のペースを貫き通して定年をむかえた人もいる。そこには「責任と出世と評価と年功序列」にまつわる企業の複雑な体質や、「客先から評価される人が必ずしも社内で評価されない」という葛藤があったりする。

それに上司の運不運の巡り合わせも結果が本当にわからない。僕は無責任な上司に出会ったこともあったが、そこであえて責任の重荷を背負うことで、成長したこともあった。一方で陰湿な上司に出会ったがゆえ、若くして亡くなられた方が周囲にいたのも事実だ。
ホント人間の運命はわからない。
これからもわからない。

最後に小ネタ投下。課長の背後に君臨していた部長だが、その後、神奈川支店長に栄転された。偶然だが同時期にharuさんのお母様の「スミコ」がその支店にパートで勤務していている。「スミコ」は外勤という仕事がら、ほとんど支店長と接する機会はなかったようで、支店長の名前まで覚えていないのが残念だが、時期的にはドンピシャではある。
ホント人間の巡り合わせもわからないのだ。