ムッシュかまやつのこと
邦楽の世界では、まず三木鶏郎が好きだ。細野晴臣と曽我部と岸田は天才だと思っているし、フジファブの志村のその後が見れなかったのは残念だ。
でも、僕にとってムッシュかまやつはピート・タウンゼントと並んで絶対的に「音楽の神様」だった。
「だった」と過去形で書くのは本当に辛いことだ。
彼には日本人離れした音楽的才能があった。それは一言で言えば「スタイルを盗むのがうまかった」と言えるかもしれない。
ジャズ、カントリー&ウェスタン、ロカビリー、GS、フォーク(あるいはニュー・ロック)、シティ・ポップス(あるいは70’s)というように歩いてきた音楽の遍歴は戦後のJ-Popの歴史そのものなのだけど、彼ほど敏感に新しい音楽のスタイルを感じ取って、それをいとも簡単に自分の音楽スタイルにしてしまうミュージシャンを僕は他に知らない。
ある意味「特定のジャンルへのこだわりがなかった」とも言えるだろう。
「こだわりがない」というとまるで悪口のように聞こえるけど、彼はそれを最大限の武器にしていたし、そのありとあらゆるスタイルで最高の音楽を生み出してきた。「バン・バン・バン」「なればいい」「あの時、君は若かった」「二十歳の頃」「どうにかなるさ」「ブレインフードママ」「ピポピポ旅行」「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」「ハロー・ミスター・サンシャイン」「やつらの足音のバラード」「メイシー・マム・カム」「ブライアン・ジョーンズ」という名曲の数々は、同一人の作品とは考えられないほど多岐にわたっている。そこには音楽の最も美味しいエッセンスが凝縮されている。
きっと彼には「音楽が見える」という才能があったのだろう。おそらくこれは天性の才能だ。
洋楽の話だが、ありとあらゆる音楽を聴いた途端にそのコード構成やスタイルが見えてしまう。彼はそうした音楽を自分のスタイルに巧妙に変えてしまう。オマージュ的な痕跡を残しているならばまだいい。彼のオリジナリティを詰めこんで全く違う音を完成させてしまう。本当にズルい人だと思う。
これができる日本の音楽クリエイターは菅野よう子とムッシュぐらいじゃないだろうか。
(ズルいといえば、これもズルい。横浜金沢文庫「Road & Sky」で管理人が撮影した映像。ムッシュが「Satisfuction」で盛りがっている最中、近所の人が通報したのだろう。ふと窓の外をみたら、警察が何人もいた。こういう絵になるシチュエーションを引き寄せてしまうのがムッシュの凄さなんだと、心躍った)。
「こだわりがない」...これは一番のムッシュの美徳だったと思う。
1960年2月に「殺し屋のテーマ」でデビューしたムッシュ。
ディランよりもビートルズよりも北島サブちゃんよりも前にデビューして、音楽的な金字塔をいくつも打ち立てたにも関わらず、大御所然とした所は一つもなかった。スパイダースで成功した後に、自分よりずっと若い吉田拓郎に「我が良き友よ」を書いてもらったり、一緒に「シンシア」をデュエットしたことがあったけど、あれはムッシュのこだわりのない性格だったからこそできたのだろう。
それは人間関係も一緒だった。彼は自分が楽しければ若手のバンドやアマチュアバンドと混じって楽しく音楽をやっていた。僕が見た彼のライブもそういうものだった。
僕の友人の多く....ミュージシャンとかではなく、極めて普通の方々だ.....がムッシュの死後FacebookにムッシュとのツーショットをたくさんUPしている。
本当に気さくに誰とでもムッシュが記念写真を撮ってくれたことがよくわかる。
(管理人とムッシュ唯一のツーショット)
さて僕の職場には、実際にムッシュが使用していたVOXアンプがある。東日本大震災のチャリティオークションで落札したものだ。
以前このエピソードをブログで書いたら、かつてムッシュのローディーをされていた方から「この映像に写っているやつです」とメールを頂戴したことがあった。1999年前後の時期、ウォッカ・コリンズやCallas(ムッシュ以外は女性というバンド)などで使用したものだったようだ。
ムッシュに対する音楽的な敬意はもちろんだけど、ムッシュのお父さんであるティーブ・釜萢が日本で最初のボーカルスクールである「日本ジャズ学校」を創立されたということにあやかりたかったのは言うまでもない。
遺品となってしまったこのアンプ。
彼の音楽精神を大切にしながら、次へとつないで行かなきゃだ。
ディスカッション
コメント一覧
餅は餅屋という言葉を最近ドラゴンボール超の主題歌を聴く度思います。吉井和哉に続き、氷川きよしが主題歌を歌っていますが、何か違う。曲は悪く無い、歌は上手い、でも何か違うと。ジャンルの垣根を超えて活動出来るのもそうですが、時代の流れに飲まれず鮮度を落とさない人というのは本当に凄い。
私はムッシュさんの音楽の記憶は世代ではないので、父親が持っていたスパイダースの曲と、アニメの数曲しか知らず、戦闘妖精雪風のED曲ではじめてこのおじいちゃんすげぇなぁって思った程度です。戦闘妖精雪風では僅かしか流れていないのに、60過ぎたおじいちゃんの歌が20代の人間の心に響く凄さ。今生きている60過ぎのロックシンガーがああいった曲を歌っても、あれほど軽やかで爽やかな軽さは出せないなぁと感じます。
生前、車番組でスポーツカーから小さな車までスタイルやポジションに拘らず、自分が好きな車だけを楽しまれていたのを見て、この分け隔てない感じがあのボーカルに乗っていたんだなぁと今になって分かる気がします。
Kenmotsuさん
コメントありがとうございます。
「RTB」ですね。やはりファンなので「雪風」の「ゆ」の字も知らずに買いました(笑)
彼には「年齢」というものに意味を求めることがなくて、ただただ音楽を楽しむという純粋な気持ちが全面にあったと思います。そう「分け隔てなく」ですね。こういうミュージシャンは日本では希少種だったと思います。キャリアとしては最長の部類にいたロックミュージシャンのムッシュがこういう姿勢だったにもかかわらず、メディアは「何をやったかほとんど誰も知らないロケンロールな人」ばかりを話題に取り上げてきた。これも謎ですね。