五色温泉と日本共産党第3回大会

ぶうらぶら,歴史の切れ端

3月末でも雪があって、人里離れた山中の温泉宿で、できれば一軒宿で、おまけに食事が美味しくて.....

そんな条件を並べながら「日本秘湯を守る会」サイトで絞り込んでいったら「五色温泉」というのにでくわした。
山形の温泉らしい。「宗川旅館」という一軒宿があって米沢牛ステーキが食べれるプランもある。雰囲気もなかなかよさそうだ。

それにしても「五色温泉」という名前には憶えがある、はてなんだったっけなと思いつつ宗川旅館のWEBサイトを見ていたら、こんな記述に出会った。

大正14年日本共産党第3回大会が非公式で開催される。当時、弾圧されていた日本共産党が組織再建のため、大会を開催しましたが、参加者は身分を隠すためばらばらに来館したため、当時の主人も1年後に警察からの事情を聴くまで全く分かりませんでした。

松本清張の「昭和史発掘」にそんな内容の話があったぞ、と本棚から引っ張り出したら、あったあった。
文庫本第2巻「三・一五共産党検挙」がそれだった。

この章は、昭和2年の8月半ば「特高の神様」こと毛利基が一本のタレコミ電話を受け取るところから始まる。
その電話は「最近東北地方の子供ができる温泉」で「重要会議が開かれた」とだけ告げて、切れた。
福島出身の毛利は、その温泉が山形の五色温泉であること、「重要会議」の意味するところが、日本共産党が党の再建運動を進めていることに関連すると直感した。
戦前の日本共産党は非合法組織だったが、徹底的な弾圧によって大正13年に解散したはずだった(第一次共産党)。

早速、毛利は山形県の五色温泉に飛び、宗川旅館での捜査を行う。その結果、大正15年12月に「会社の忘年会」という理由で集まった17名の団体客こそが日本共産党のメンバーに他ならず、その後の捜査でこの「五色温泉会議」こそが日本共産党の再度の創立総会(第二次共産党)であるという確証を得たのだった。

清張の記述は、この捜査に端を発した「三・一五事件」などの一連の共産党弾圧事件まで進んでゆくのだけど、僕にとってはこれが一泊目の宿が決まった瞬間だった。

東北自動車道の福島飯坂インターで降り、国道13号で米沢方面へと進む。

大きな地図で見る
この国道13号、バイパス並に整備された道で、又の名を「万世大路(ばんせいたいろ)」とも言う。
実はこの道、廃道マニアにとって「聖地」とでも言うべき場所。明治時代に作られた旧道を辿るルポだけでもウェブサイトがいくつあるかわからない。「万世大路研究会」まで存在する。
幸か不幸かバイパス以外の道はすべて雪の中に埋もれており、今回はその痕跡を辿ることは不可能だったので、この画像だけUPしておく。

(東栗子トンネル福島側口付近から、旧道の二ツ小屋隧道へ至る山道.....があるはずなのだけど、雪で完全に埋もれており、どこがどうなっているのかさっぱりわからない)

東栗子トンネルを抜けたら「万世大路」ともお別れだ。
県道に折れるとつづら折の坂道を下り、奥羽本線の駅のある板谷の集落を抜けると「五色温泉」を示す看板が見えてきた。


大きな地図で見る
さらに山腹を下って阿武隈川水系の川(河川名がわからない)を渡ると、今度は不忘山の中腹に向けて5キロの雪道(県道154号)を登ってゆく。

(五色温泉に続く県道154号)

灰色の空からはみぞれまじりの雪が降ってくる。ワイパーが鈍い音を立てながら雪を押し流す。
カミさんが「こんな先に旅館なんてあるの?」と不安気に尋ねてくる。

あるからこそ「彼ら」はこの旅館を選んだのだろう。

大正15年12月3日の午前6時ごろ、突然スーツ姿の二人の男がこの宗川旅館を訪れた。
たまたま宿の主人夫婦は休暇で不在だったので、女中の阿部トクがこの二人に応対している。
彼らは「自分たちは東京の会社のものだが、明日、会社の慰安旅行でこの宿に一泊したい。」と告げた。
明日、同僚が15、6名ここに宿泊するからよろしく頼む、というのである。

閑散期の団体客とあって、阿部トクも喜んだ。彼女は主人夫婦に代わって「二階の二間続きの離れ座敷」を提供することにした。その晩、スーツ姿の二名は宗川旅館に宿泊した。

翌4日の午前7時、十五名の男たちが降りしきる雪の中を宗川旅館に到着した。彼らは板谷駅から6キロの道のりを2時間かけて歩いてきたのだ。
代表だという男が宿帳に「日本蓄電池製作所社長 田村恒三 四十一歳 ほか十四名」と記入した。

(五色温泉 宗川旅館)

彼らが歩いた2時間の山道など、車なら15分もかからない。
カミさんが「はたしてこんな先に旅館などあるのか?」という不安を抱えいるのと同じように、僕は僕で「地震が来て雪崩でも起きたらヤバいな」と思いつつハンドルを握っていた。
が、あっさりと視界が開け五色温泉へを到着した。時計は午後3時のチェックイン時間ちょうどを指していた。

大きな地図で見る

(宗川旅館の玄関)
木造の建物は確かに古いことは古い。だけど、内装を見てもせいぜい築25年~35年と言う感じで、大正時代の建物が現存しているという雰囲気は感じられなかった。

何しろ午前4時に家を出て、ここまで走ってきたからクタクタだ。僕は温泉にどっぷり浸かった後に昼寝をしてしまい、夜になってから夕食だよとカミさんに起こされた。
食堂は1980年代のスキー宿の雰囲気がプンプンしていた。かつて五色温泉には日本初の民営スキー場があった。きっとここで、パステルカラーのスキーウェアを身にまとった女の子たちが、ユーミンをBGMに食事をしたんだろうな。そんな想像を巡らせながら美味しい米沢牛のステーキに舌鼓を打った。

さて、我々が通された部屋は、玄関から喫煙所の横をすりぬけ、5段ほどの階段を上り、長い廊下をまっすぐ進んだ突き当りにある8畳の部屋だった。
斜面に建てられているため、玄関から入っても、一番奥まで行くと2階となる。

まさかね....とは思った。
たしかに二階の奥まった8畳ではあるけど、清張が書いているような「二間続き」、すなわち8畳が二間ある部屋ではない。
随分新しく造作はされているけど、一方で欄間の古さが気にはなる。

(「まさかね」と思いながら撮影しているから、あんまりいい写真が撮影できていないです。ハイ。)

何か部屋について具体的なことが書かれてはいないかと、わざわざ持ってきた「昭和史発掘」を読もうとするが、これはカミさんに取られてしまった。
「芥川龍之介の死」のエピソードが気に入ったらしい。

さて、時計を戻そう。
宿にチェックインした男たちのうち、「勝田浅吉」と称する人物が女中の阿部トクに言った。
「今から社長の訓示を行うので、誰も来ないようにして欲しい。用があればこちらから呼ぶから」。
そう言うと「浅田勝吉」は離れにつながる廊下に立って人払いのために監視を始めた。
途中、昼どきなので食事を出そうかと阿部トクが様子をうかがいに行くが、廊下の奥から「浅田勝吉」に「来るな」と指示されている。

何と「社長の訓示」は5時間もかかった。
その後は宴会場に移って飲めや歌えやの大騒ぎとなった。
翌日、午前中から男たちはスキーに興じた。宿を去るにあたって、宿側が記念品のタオルをさしだしたが、17名の誰もがタオルを受け取らなかった。

男たちが五色温泉を去ってから20日後、大正天皇が崩御して昭和と改元された。
善良な宗川旅館の従業員たちが、この男たちが共産党員だったことを知るのは、9か月後のことだった。
五色温泉に赴いた毛利基の捜査は執拗なものだった。取り調べによって女中の阿部トクは精神に変調をきたしてしまう。
その結果、この日の十七名のメンバーも判明した。
福本和夫佐野文夫渡辺政之輔三田村四郎、中尾勝男、松尾直義、門屋博、菊田善五郎(浅田勝吉)ほか....

五色温泉で開かれた「日本共産党第三回大会」によって党は再建された。新たに党中央委員会のメンバーが選出され、ここから第二次共産党がはじまる。
この動きを封じ込めようとした当局によって三・一五事件、四・一六事件熱海事件といった弾圧が始まるわけだけど、それはここの本題ではない。

ただ昭和4年になって、画家の竹久夢二がこの宿に宿泊している。
かねてより社会主義に関心を抱いていた夢二は、わざわざ党大会の開かれた部屋を指定して宿泊したのだそうだ。

翌朝、起床してカーテンを開けると、昨日とはうってかわって青空が広がっていた。
白と青の鮮やかなコントラストに思わず歓声をあげた。


日差しの強さだけ見ていると、春もそう遠くはないような気がした。

あくまで今回の旅の目的は温泉でゆっくりすることだ。歴史の舞台に触れにゆくのは二の次だ。
だから温泉につかりに行く。


温泉を独り占めしながらボケーッとするつもりだったけど、さっきから温泉を飾っている古風な石組が気になってならない。
周囲の壁や天井などはそうとうリニューアルしているけど、このモダンな石組は大正か昭和初期のものだ。
だとすればあの部屋は新しそうにも見えるけど、やはり共産党大会が開かれた場所なんじゃないだろうか?

部屋に戻ると、半信半疑ながらカメラで部屋を撮影してみた。

ついでに部屋前の廊下も撮影する。「浅田勝吉」が見張っていた廊下とはここではないか?と思いつつ。

宿を出立する際に、女将さんに尋ねてみた。
「大正時代に共産党大会を開いた部屋っていうのは、現存するんですか?」
そうしたら女将さんが苦笑しながら言った。
「お客様がお泊まりになった部屋がそうですよ。今はトイレを設置して別々の部屋にしてしまいましたが、当時は二間続きだったんです」

参考文献、リンク:
松本清張「昭和史発掘 第二巻」
下里正樹・宮原一雄「五色の雲」
板倉勝宣「五色温泉スキー日記」(青空文庫)

ぶうらぶら,歴史の切れ端