ビートルズとは何だったのか?

上大岡的音楽生活

ジョン・レノンやポール・マッカートニーを知っていても、アーヴィング・バーリンコール・ポーター、そしてジョージ・ガーシュウィンを知っている人はどれだけいるんだろう?
そんなことを考える。
この3人は活動時期は多少ことなるものの、1910年代から50年代にかけて活躍し、多くのアーチストに歌われたり演奏された白人の職業作曲家だ。


(アーヴィング・バーリン作曲「ノー・ストリングス(1935)」。歌うのはフレッド・アステア


(ジョージ・ガーシュイン作曲「スワニー(1920)」。ただしアル・ジョルスンの映像は1945年「アメリカ交響楽」から)


(コール・ポーター作曲「ビギン・ザ・ビギン(1935)」。この曲を最もポピュラーにしたのがアーティー・ショウ楽団の1938年のこのレコード。この曲の凄いところはAメロ、BメロからなかなかCメロに移行しないところ)

24歳ぐらいから、ロック以前の時代の音楽を真剣に聞き始めた。
20世紀の初頭からロックが誕生する以前の50年間を辿る旅というのは、とてもスリリングで楽しいものだった。上の3人はそんな中で出会った素晴らしいメロディ・メーカーたちだ。そして彼ら3人に共通して言えるのは、独学あるいはそれに近い形で作曲を学んだ、という点だ。

こうした音楽を聴いているうちにふと気づいたことがある。
「そうか、ビートルズ(とりわけ初期)っていうのは、こういうメロディ・ラインをロックのリズムにのせて歌ったことに意味があるんだな」。
これに気付いた時に、自分の中ではビートルズがとても分かりやすいものに変化した。

いわゆる「ポピュラー・スタンダード」と言われる....一般的にジャズ全盛の時代のポピュラー・ミュージック(必ずしもイコール・ジャズではない)が持つメロディラインがある。
格調が高くて、時には抒情的で、時には枯淡の味わいがあり、時にはファンタジーな世界感に満ち溢れたメロディラインの数々だ。

これがビートルズの手によって暴力や破壊の衝動....やもすればジャズ時代のポピュラー・ミュージックとは対極の価値観だった....ロックというビートに乗せられたという点が画期的だったのではないか?僕にはそんな風に理解できたのである。

(アーヴィング・バーリン。最初のヒット作は「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド(1911)」。日本で最も有名なのは「ホワイト・クリスマス(1942)」。ビートルズがデビューした1962年に引退し、1989年に101歳という長命で亡くなった)

(ジョージ・ガーシュイン。一般的にはクラシックといえる「ラプソディ・イン・ブルー」が有名だけど、彼の真骨頂はむしろポピュラー・ミュージック。「サムバディ・ラブズ・ミー」「サムワン・トゥー・ウォッチ・オーバー・ミー」「魅惑のリズム」など名曲は数知れず。人気絶頂中の1937年にわずか39歳で夭折した)

(コール・ポーター。代表作は「ナイト・アンド・デイ」「エニシング・ゴーズ」「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」など。後年になってモダン・ジャズ・シーンでスタンダードとして歌い継がれる楽曲の数々を生みだした)

ジョン・レノンやポール・マッカトニーにはアーヴィング・バーリンやジョージ・ガーシュイン、そしてコール・ポーターなどといった連中にに匹敵するメロディー・メイカーとしての才能があった。同じグループに二人もそういう人材が存在したことも奇跡的な偶然なんだろう。そして彼らは時期を得ていた。まだ未開拓の「ロック」というフィールドにそういうメロディ・ラインを乗せた楽曲をガンガン投入する。革命的でないわけがない。

とりわけ初期の彼らは古い時代のメロディに立脚していた。
ブラック・ミュージックに立脚した「ラブ・ミー・ドゥー」にこそそれは感じないものの、「アスク・ミー・ホワイ」「オール・マイ・ラヴィング」、「ア・ハード・デイズ・ナイト」、「キャント・バイ・ミー・ラブ(これなんかモロだ)」、「アイム・ア・ルーザー」「アイ・フィール・ファイン」などを聞いていて、「もしこの曲をスィングさせて、グレン・ミラーとかベニー・グッドマン、トミー・ド-シーあたりにプレイさせたら1930年代のヒット曲じゃないか」というのは何度思ったかわからない。

ところがこれが1965年の「ラバー・ソウル」以降のビートルズとなると、ちょっと違ってくる。
メロディライン...それ自体も高度なことに変わりはないけど、ロックと「古き良きもの」を融合させる手法など、もはや必要なかったのである。むしろロックのフィールドに足を据えてサウンド全体をクリエイトする方向に走っていった。ロックというもののバリエーションを広げて、後に後継が辿る羽目になる大きな輪郭をさっさと描いてゆく、彼らはそこに自分たちの役割を見出したのだろう。

僕はそんな風に考えている。「非難を恐れずに言うならば」だ。

上大岡的音楽生活