さよならエマニエル夫人

おみおくり

子供にとっては夢のような時代だった。

山に行けば雪男やヒバゴンがいた。
野原に行けばツチノコがいた。
湖に行けばネッシーが泳いでいたし、うす汚い二本足を突き出した死体があった。

夜空を見上げればアダムスキー型のUFOが飛んでいたし、海には幽霊船が漂っていた。

スプーンを右手に持って念ずれば、それはぐにゃりと曲がったし、妹の持っている人形の髪の毛はどんどん伸びていった。

記念写真を撮れば幽霊の悲しみに満ちた顔があちこちに写っていたし、村へ行けば巫女姿の老婆が「祟りじゃ、来るでない」を叫んでいた。

飛行機はハイジャックされるものだったし、ビルには爆弾が仕掛けられていた。
国鉄はすぐにストライキをおこし、街には火炎瓶がとびかっていた。
日本はいつ沈没しても不思議はなかったし、世界はいずれ恐怖の大王に滅ぼされるはずだった。

隠さなければならないもの、科学的に解明しなければならないものなんて何一つなかった。
子供たちは「そういうものなんだ」とそれを受容していた。

そんな時代だからこそ「エロ」も平気でそこにあった。

昭和49年ごろ、小学校3年生だったボクは友人のY君とボーイスカウトに通っていた。毎週日曜日は京浜東北線で東神奈川まで通っていた。

当時の街の風景には、21世紀の今では「隠してしまったもの」「隠さなければいけないもの」がいくらでもあった。
それをひとつひとつ例示することはこのBlogの目的ではないから割愛するが、ポルノ映画のポスターもそのひとつだった。
ポスターは平気で駅のホームに貼ってあった。

石川町、関内、桜木町駅あたりが一番ひどかったと思うけど、階段のすぐそばに広告掲示板みたいのがあって、そこに画びょうでポスターが貼られていた。
「日本モーテルエロチカ 回転ベッドの女」「四畳半襖の裏張り しのび肌」とかいった具合だ。
こういうポスターというヤツは、ただただ「どーん(意味は推定願います)」という感じで勢いだけがあり、今から思うと女性を美しく見せるという感覚は全くなかったと思う。

さすがに小学校3年生だから「それを見たという自分を人に知られる」というのが恥ずかしい。
ましてやY君と一緒なわけだから、そういう場所を通る場合(電車で通り過ぎることを含む)は、意図的に目をそらす。
多分Y君も意図的に目をそらしていた。

そんなある日、駅にこんな感じのポスターが貼られていた。
(自主規制により画像はクリック先を参照願います)

なんというのか....それは衝撃的だった(見てんじゃねーか)。
それまでの「どーん(意味は推定....まあいいか、扇情的、退廃的、官能的、セクシーダイナマイト的...とかそんなやつ)」という感じではなく、何かきちんとした美しいものだったからだ。
音楽にたとえると(別にたとえなくてもいいのだが)、「戦争反対!」を連呼している反戦歌と「スカボロ・フェア」の歌詞のような反戦歌との違いだ。
そして「どーん」としたモノに比べると、奥ゆかしいことは奥ゆかしいのだけど、もっと深くて甘い香りのするものだった。
何よりも他のポスターに比べて、そこにいる「夫人」ははるかに美しかった(見てんじゃねーか)。

このポスターオトナのみならず全国の小学生に与えた衝撃は計り知れない。子供の世界でもオトナの世界でも映画「エマニエル夫人」は一大社会現象となっていった。

テレビ番組では特集が組まれ。映画の「さわり」の部分がゴールデンタイムにオンエアされていた(そういうことが平気な時代だった)
子供心にそれをチラ見する。それ以上は親の監視があるから見れない。
僕やY君なんかは奥ゆかしい子供だったけど(笑)、クラスには必ずそういうことにヘーキな(オトナな)ヤツがいて、K君やI君などは学校の椅子を使ってポスターと同じポーズのモノマネをして周囲を笑わせていた。
彼らは「H君」になったってへっちゃらだった。

そんなのをゲラゲラ笑っているウチは子供に間違いない。
ある時、映画に詳しくて「ロードショー」の雑誌を買っていた僕の姉貴が「エマニエル夫人」に関してきちんと説明してくれたことがある。
「あれはね、ただのいやらしい映画ではないの。美しい女の人を主人公にした映画で、レースのカーテンとか籐椅子とかにもこだわっているの。女の人でも見れる映画なのよ」
なるほどそういうもなのかと思い、ちょっと大人になった気分になった。
だけど、そんなことを弟に説明する中学生の姉貴もかなり変わっている。

子供の勘は結構鋭い。そんな姉貴の「ロードショー」には案の定「エマニエル夫人」の写真があった。
僕はそれをこっそり見た。もちろんY君や「H君」には内緒だ。
今振り返ればこの映画は実に奥ゆかしいエロティシズムなのだけど、籐椅子に座った彼女の微笑は当時の僕には衝撃的すぎた。
いまだに「夫人」という言葉に当たると、反射的に「エマニエル」と出てくる(「デヴィ」とか絶対出てこない)。

子供にとっては夢のような時代だった。
隠さなければならないものが街中に溢れていたから、
自分で見ていいもの、見てはいけないもの、こっそり見るものを自分で判断するしかなかったからだ。

さよなら、エマニエル夫人。

シルビア・クリステルさん死去 映画「エマニエル夫人」で一世を風び(2012.10.18)」

おみおくり