ムッシュかまやつ at Double Door 七里ガ浜

ライブレポ

(あれこれ書くとキリがないんで、いろんなことを省略して、ムッシュメインでゆきます)。

大船ラドン温泉を出た後、BBC(Big Beat Combo)のリーダーで「横浜ロックの生き字引」リッケンさんと金沢文庫で合流、鎌倉七里ガ浜のDouble Doorというカフェ・バーで行われた御大ムッシュかまやつのギグを見に行った。

車中のリッケンさんの会話の濃さといったら、天下一品のこってりスープ並みのドロドロさ。50年代~60年代に至るロックに関するディープな話、横浜ロックのNow & Then話なんか本当に物凄い情報量や体験を持っている。とりわけ面白かったのは、かつてリッケンさんが「ティーンエイジ・ブギ(ロカビリー時代の"かまやつヒロシ"のカバー曲。「月影のナポリ」のB面として1960年9月にリリースされた)」をカバーしたことがあるという話。

会場となった七里ガ浜のDouble Door
Double Door 七里ガ浜

来月12日には70歳を迎える御大ムッシュ。進駐軍のジャズクラブに出入りしていた少年時代にはじまり、1960年3月に「殺し屋のテーマ」でデビュー。その芸歴はメジャー・シーンだけでも50年に近い。彼の音楽活動の軌跡はJ-POPの歴史そのものだ。
ムッシュかまやつ

近年はこのエルメスのニット帽がトレードマーク
ムッシュかまやつ エルメスのニット帽

「俺はワルだ」なんて自分で言うヤツに限って本当のワルはいない。
だから、この人は本当のワルだと思う。
ムッシュかまやつ

しかし金沢文庫のRoad & Skyでギターを杖のように持ち、背中を丸めて歩いていた時には、哲学者のようにも見えた。
ムッシュかまやつ

Setlist : (with TESTRIDERS=湘南のサーファーバンド)
「どうにかなるさ」「やつらの足音のバラード」「ゴロワーズ」「Ya Ya」「バン・バン・バン」「Satisfaction」 e.t.c.
なお、ゲスト・シンガーで桑名晴子が「Honkey Tonk Woman」をやったのには驚いた。
ムッシュかまやつ

「自分は困ったことにプロ意識がない。アマチュア感覚がいまだに抜けない。でもそれはいいことで、プロ世界のしきたりや派閥やら邪魔な規則に縛られずにすに若手ミュージシャンやアマチュア・ミュージシャンに混ざって気軽に音楽を楽しんでいる」というようなことを、最近のエッセイに書いていた。
ムッシュかまやつ

音楽とは本来そういうものだとムッシュは言いたいのだと、僕は感じた。

ムッシュのサウンドは素晴らしかった。
あの複雑でJazzyなコード進行も生で見れた。もう70歳に手が届くというに、こんな新鮮でありながら前向きに枯れているサウンドを聞かせられたら、人間てもんはそう簡単に年を取れるもんじゃないんだな、と思ってしまう。
ムッシュかまやつ

ステージが終わったあと、僕とリッケンさんはいち早く会場を飛び出して、ムッシュの元に駆け寄った。お店には可愛い女の子だらけなのに、よりにもよっておっさん二人かよと、ムッシュは思ったに違いない。

リッケンさんは現在Brian Jonesが使用していたVOXティアドロップスタイルのギターを製作中で、そのヘッド部分のパーツにムッシュのサインを求めていたのだ。

リッケンさんが「ムッシュさん、サイン下さい」とパーツを渡すと、
ムッシュは、すぐその形に気付いた。
「おっ、これ...ボディはあるの?」とリッケンさんに尋ねた。
(ムッシュはこのモデルのギターを日本で初めてSpiders 時代に使用していたことがある)
ムッシュかまやつとリッケンさん
「ハイ、できあがったら、またお見せします」とリッケンさん。
(リッケンさんが頂いたムッシュのサインはこちら

お次は僕。
僕が持参したのは、ムッシュの最古のテイチク時代の音源(50年前!)を収録した「かまやつヒロシ テイチク・イヤーズ」のCDの8つ折解説書。70歳を迎えようとしているムッシュに、最初期の音源にサインをして欲しかったのだ。
「おっ、これかぁ。恥ずかしいなぁ~」と苦笑しながらサインしてくれた。
僕は「何にサインして頂こうか、悩んだんですが、やはりこれだと思いまして...」と言った。
ムッシュさんと僕
帰りの車中では、僕もリッケンさんもハイテンション。
その後屏風ヶ浦で祝杯(僕は相変らずコーラ)。
リッケンさんを送り届けて、家に着いたのは午前3時だった。

なお、このライブの模様はTV東京の「みゅーじん/音遊人」で1月12日にオンエアされる予定。

ライブレポ