富山、長野拾遺
黒部川第二発電所(昭和11年完成 山口文象設計)。昭和建築の傑作であるにもかかわらず、山奥の人目につきにくい場所にあるところがポイント。芸術のひとつのあり方かも。
「魚津の夜をクリエイトする」キャバレーの看板。
称名滝で蛇を見た。
富山県と新潟県の県境にある親不知。断崖絶壁が海に落ち込む交通の難所。
こんな危なっかしい場所に道が4本もある。
①波の合間を旅人が必死に駆け抜けた北陸街道(ガケ下の砂浜)
②明治16年に開通した旧道(この画像を撮影している場所)
③昭和41年にトンネルが開通した国道8号(右手の崖)
④海上にまで道を通した北陸自動車道(右手崖の向こう)
おまけに北陸新幹線までここを通す予定らしい。
親不知もいささか窮屈気味。
新潟県上越市の名立から直江津に至る道。そりゃあもう絶景!!
上越市(旧高田市)に残る旧師団長官舎の二階の窓。
日本人に最初にスキーを伝授したレルヒ少佐はこんな人。
信州中野市にある中山晋平の生家。山田耕作と並んで大正、昭和初期を代表する作曲家。
「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「東京音頭」「東京行進曲」「波浮の港」「アメフリ」「シャボン玉」「證城寺の狸囃子」「兎のダンス」「てるてる坊主」「黄金虫」「背くらべ」「鞠と殿様」...子供たちも大喜び。
もはや廃盤と思っていた20年前のCD(しかも新品)が中山晋平記念館で売られていた。大半の曲が昭和ヒトケタ代の録音で、中山晋平自身のピアノ演奏をバックに、佐藤千夜子や平山美代子などの貴重な歌声を収録している。
そして極めつけは....昭和初期の童謡歌手にもかかわらず、お伽歌劇「茶目子の一日」のお陰で、平成の乙女達にもカルト的人気を誇る平井英子(ひらいひでこ)の録音が14曲も収録されている、ということだ。
「平井英子のコンプリートCDボックスの発売をビクターに願う会」の会員としては、これが今回の旅行における最大の音楽的収穫だった。
仕事では歌わないワダアキコさんがいた。
長野県松代にある松代大本営地下壕(象山地下壕)。「歴史を中立的視点で語ることの難しさ」を感じた。
これまた松代にある大正時代の女優松井須磨子の墓。歌は決して得意分野ではなかったが、日本で最初に商業的に成功した「歌姫」となった。彼女の「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄(ともに中山晋平作曲)」は、大正4年に累計4万枚以上とも言われるセールスを記録している。この数字は当時の蓄音機の出荷台数をはるかに上回っている。
大正7年、愛する島村抱月の死に悲観して自殺。
「いのち短し、恋せよ乙女」
松代出身の佐久間象山は「日本のダ・ヴィンチ」。日本人ではじめてメール(電信)を打った人物。そのメール受信に使われた鐘楼が現存する。ちなみに記念すべき最初の文面は本名の「サクマシュリ(佐久間修理)」
松代から抜け道を使って軽井沢方面へ移動する途中で「十福の湯」という温泉を発見。どうせ急いで帰っても渋滞に巻き込まれるだけだ。ここで夜までゆっくりする。旅のしめくくりとしては最高のエンディング。
ディスカッション
コメント一覧
富山から長野までの夏の旅、オツカレサマでした!
海や空の青が美しいですね。上越市にもお越しいただき
ありがとうございます~。レルヒさんもきっと喜んでいます。
中野晋平さんのふるさと。いいですね。行こうかなー
す、すみません。間違えました。「中野市」の「中山晋平」さんです。
必ず行くことでしょう!!!
>シールさん
いやどうもどうも。
最高のお天気の下で上越市を堪能できました。
今回はあわただしく駆け抜けた旅行だったので、
次回は長野北部を含めた滞在の旅にしようと思ってます。それまでレルヒと晋平ちゃんによろしく!
ご無沙汰してます。
すてきな旅、室堂は最高ですね。私も二度いきました。最初はトンネルがまだなく、立山山頂までのぼりました。羽田から富山までなんとかというフランス製ターボジェット。空港では国鉄の駅のようなターミナルの屋上で若い女性多数のお出迎え。かと思ったら、前を歩くよれよれのワイシャツ姿は、なんとかという有名な新劇俳優でした。
最近トンと忘れっぽくなって・・・・。
>ましまさま
旅の形は変わっても、山の風景だけは変わりませんね!!
いつもながら、なかなか鋭い観察ですね~。
金沢から電車で上京するとき、富山県を抜けて親不知の海が見えると、旅心を刺激されたのを思い出しました。
>M浦くん
いつか親不知の北陸街道古道を歩いてみたいけど、やはり命がけなんですかね?二人してお遍路の格好で行きますか。