秋の社会科見学 国会議事堂見学ツアー

教室事件簿

教室の秋の社会科見学は国会議事堂の参議院見学だった。

「なぜボーカル教室が参議院なのだ?」
と疑問に持たれる方もいるだろうけど、逆に「参議院について百文字以内で述べてみよ」と尋ねたら、何人の人がきちんと答えられるだろうか?そう、普段聞きなれている国家機関にもかかわらず、知らないこともこの世にはあるわけだ。

今回の企画にはそこを知ることでスッキリし、スッキリした気持ちを歌声に反映させよう、という僕の切実な願いがあった(ほんまかいな)。

さて、本日参加してくれたつわものは、ヤチヨちゃん、カズちゃん、カツちゃん、タツちゃん、アニキ、59喉、ゆっちぃ、haruさん、僕の計9名だ。年上のお3人は78歳、75歳、67歳で、僕の母親と一緒かそれ以上の年齢だった。

10月31日午後2時、おりから議事堂の周辺を座り込みデモの方々がとりまく中、参議院参観受付窓口より入った。一生懸命社会抗議されている横を「失礼します」という感じで対象の建物に入ってゆくというのは、あまりいいものではない。なんだかそれだけで「ノンポリ」とか言われそうだ。
だが、てやんでい、こちとらボーカル教室でぇ。

さて、入場に際して渡された管理証はこんなだった。
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「代160回国会発行参議院出入記章(乙)帯用証」と書いてある。160回国会と書いてあるということは、国会の会期ごとに新しく作られるということで、新しく作られている割にフォントが昔の明朝体であるところに、えもしれぬ格式を感じるではないか。

ここが皆さん御存知の参議院本会議場
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無駄な反響を抑え、ストレートに声を反響させるという素晴らしい音響空間だ。本当は「ぎちょー!」って発声練習をしたかったのだが、他にも修学旅行の中学生などの団体さんがいたため、さすがに遠慮することにした。
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TVの国会中継では絶対写ることのない議場の天井。唐草模様のステンドグラスが素晴らしいね。
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さてこの建物、昭和11年(1936年)11月の竣工というから、今月でちょうど築70年が経過したわけだ。重要文化財になりそうな資格は充分にある。

文化財を指定するのは文部科学省だから「行政機関」だ、指定することで金銭的な助成もするけど、当然建物の使用制限もする。いっぽう国会は「立法機関」だ。三権分立の原則からすると、はたして「立法機関」の建物を「行政機関」が使用制限できるのだろうか?
せっかくの貴重な建築にもかかわらず、議事堂クンのの今後が心配されるところだ。

さて、ここは第一委員会室。今にも委員長に「●●君」と呼ばれて、「記憶にございません」と答弁しそうなムードが漂っているのだが、おそらくそれは事実だ。
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この場所には「言いたいことを言わない」「言えない」「言いたくない」「言ったらおしまい」的なオーラが満ち溢れているような気がしてならなかった。いやあくまでも「印象」ですがね。

議員ではないにもかかわらず、楽しそうに赤じゅうたんを踏む方たち。始めての国会体験の方もおり、嬉しそう。
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中央広間で、神妙な顔で説明を受ける方たち。部屋の四隅のうち、三隅には憲政の歴史を彩った3人の政治家の銅像が立っている。伊藤博文、大隈重信、板垣退助だ。あと1人の銅像はなく、台座だけがそこにある。4人目の人選に手間取っているとも言われているし、「政治とは常に未完成である」ということの象徴だという説もあるけど、説明員の方の話は面白かった。
「4人だと2対2で意見が割れることがあるでしょ、3人だと必ず2対1で採決できるから民主主義の原則に即しているんですよ」
へぇ~。
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さてさて、開会式の当日になると、衆参両議員が参議院議場に集合し、天皇陛下臨席にもと、陛下よりお言葉を賜るんだそうだ。
そういう時、天皇陛下はこの階段を登られるらしい。
晩年はさすがにエレベーターを利用されたようだが、説明員の方がご覧になった昭和天皇の階段登りは、とても大変そうだったとのこと。
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ステンドグラスが美しい。
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国威発揚のために最高の部材と最高の建築技術により作られた国会議事堂。その美しさは大きな芸術品そのものだ。だけど完成から10年足らずで敗戦により屋台骨の大日本帝国がひっくり返るとは思わなかったろう。

いつの間にかに遅れているメンバーがいるなと思ったら、このエレベーターの美しさに見とれていたのだ。「上下にリフト移動する機械」にもかかわらず、この美しさは何だろう。
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あとで他の一台に乗ったのだが、説明の方が「このエレベーターは天皇陛下も乗られたのですよ」と言われて、意味もなく「へへーっ」と恐縮する。日本で最も高貴なエレベーターに乗ってしまった我々は、明日からパルポート上大岡のエレベーターをどのような気持ちで乗ったらいいのだろうか。

レストランモアが経営する議員食堂。時間が時間ならばあの方やこの方がいるはずだった食堂だが、すでの午後3時だったため、ガランとしていた。よく考えたら、会期や委員会の開催期間以外の出入りも少ない筈だし、この時間でガランとしていて、採算が合うのかどうかちょっと心配になる。メニューの価格帯は600円~1200円と大変手ごろて、フツーのレストランと何ら変わりない。
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いささか遅いけど、お食事をする人たち。
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これが食堂のおすすめのエビオムレツ。値段はいくらだったっけな?
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食べている途中で説明員の方いわく、
「そこのランの花が飾ってある窓があるでしょ。あの窓の外側をですね、戦時中に空襲の焼夷弾がかすったんですよ、最近外装工事をするまでは、黒い焦げ目が残っていました」

最後に議事堂前にて記念撮影。とてもいい写真だと思う。僕のとても好きな一枚となった。
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これはおまけ、どこへ行ってもマイペースな人たち。
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このあと、いま雑誌、TV、新聞で話題の靖国神社へといく。もはや17時前で遊就館もゆっくりとは見れなかった。だけど、あずまやで休憩している間に、御年配のお3人から、僕らはいろいろな話を聞くことができた。ヤチヨちゃんは軍需工場で戦闘機を作っていた。カズちゃんはあと2日終戦が遅ければ、お兄さんは特攻に行っていたかもしれなかった。カツちゃんは直下型爆弾が落ちた病院の残骸の中で、バラバラになった遺体が棺におさめられるのを、幼いながら呆然と眺めていた。
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実はこの神社にはシベリアに抑留されて病死した僕の義祖父もいる。僕の義母さんも、僕の義祖母さんも、そう信じているし、その気持ちは誰にも邪魔されたくない。色々な意見が飛び交う今日このごろだけど、こうした方々の回想を聞いていて、ひとつ言えることがある。
絶対に「今の価値観で過去の歴史を論じてはいけない」、ということだ。

この後、東宮御所、迎賓館とグルっとドライブして横浜に戻った。嬉しかったのは、参加してくれた誰もがとても喜んでくれたことだった。とりわけ御年配のお3人が帰りの車中で「珍しい体験もできたし、面白かったわ」と喜んでくれたのが、普段やり慣れない親孝行でもしたかのように嬉しかった。そしてお3人が「若い方たちもいい方たちばかりね」と言ってくれたのが嬉しかった。そうです、音楽好きな人は皆感じのいい人です。

ところで話を元にもどすが、我々は参議院を百文字以内で説明できるようになったのだろうか?
大仁田厚やツルネン・マルテイや扇千影がいるということはわかったのだが.....はて。

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