戦場で手をつなぐ子供たち -バルマレイ噴水(Barmaley fountain)のこと-
渋谷公会堂でLOVEPSYCHEDELICOのライブをみた話は前回書きましたが、これはそれにおまけでくっついてきた出来事です。
友人のこーいちろー君と渋谷公会堂前の広場で待ち合わせをしていた時、ふと目に入ったのがこの銅像でした。
「なかよし」という像です。
「なかよし」なのは大切なことですが、タイトルの選び方が昭和チックだし、子供たちの着ている服装も僕の少年時代よりずっと古い時代のものです。
かなり昔から、この広場に置かれている銅像なのでしょう。
でも、語ろうとしているのは、そんな話ではありません。
これを見た瞬間に、僕の脳裏にひとつの強烈なイメージが湧き上がってきたからです。
それは、ずっと昔に見た第二次世界大戦の映像でした。
戦争によって廃墟と化した街にこれとそっくりな銅像がある、というモノクロのイメージだったのです。
それはLOVE PSYCHEDELICOの音楽以上に鮮烈な既視感でした。
それをどこで見た何の映像だったのか思い出そうとするのですが、どうしても思い出せません。
そうこうしているうちに友人が「いやあ、遅れてすまんすまん」とやってきました。
とりあえずこの銅像を撮影して、後で調べてしてみることにしたのです。
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僕が記憶している映像は第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線に間違いありません。
なんとなく国土を滅茶苦茶に破壊されたドイツじゃないかと思いました。
それが陥落直前のベルリンだったか、最悪の空襲を受けたドレスデンだったか判然としないのですが、あたりをつけて画像検索してみることにしたのです。
「Berlin 1945(衝撃的な画像もあるので閲覧には注意が必要です。)」
(有名なこの写真はソビエト軍がプロパガンダ用に撮影した「やらせ」写真だと言われているもの)
「Bombing of Dresden(衝撃的な画像もあるので閲覧には注意が必要です。)」
(ドレスデン爆撃の有名な写真。奇跡的に破壊をまぬがれた市庁舎の時計台から撮影されたもの。この建物は現存します)
と、このあたりでかなりダークな気分になりつつ探し続けるているのですが、僕が記憶しているイメージは見つかりませんでした。
その時「もしや...スターリングラードではないか?」と思いました。
子供たちが手をつないでる銅像なんて、社会主義国っぽいじゃないですか。
そこで「Battle of Stalingrad(衝撃的な画像もあるので閲覧には注意が必要です。)」と検索してみたところ....その写真があったのです。
(「炎上するスターリングラードの街並みと、子供たちの像(1942)」クリックすると大きな画像でみれます)
1942年の夏から翌年にかけて、ドイツ軍はソビエトの都市スターリングラードを攻略、ここで史上最大の市街戦が行われました。いわゆる「スターリングラード攻防戦」です。
この写真はソビエト側のカメラマンによって撮影されたのでした。ドイツ軍の攻撃によって炎上する町並みと、楽しげに円を作って遊ぶ子供たちの像....
その被写体の視覚的効果は強烈です。二つの被写体のギャップが大きいがゆえに、歴史的な悲劇が大きく増幅されているのです。
だからこそこの写真(映像?)のことが心に残っていたのでしょう。
僕にとっては渋谷公会堂の「なかよし」像との類似性、なんてどうでもいいことになってしまいました。
そのかわり、この写真(映像?)について調べてみることにしたのです。
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【撮影場所は?】かつてスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)市内にあった「The Barmaley(バルマレイ)」という名の噴水です。
子供たちの像はこのバルマレイ噴水の上にあったものです。驚いたことにWikipedia英語版にはこの噴水(と写真)に関する記事もありました。
記事には当時「Museum of Defense of Tsaritsyn(帝政に反抗した記念博物館みたいな意味)」の前にあった噴水という説明がありますが、現在もこの博物館の建物だけは現存していて「Volgograd Memorial-Historical Museum(記念歴史博物館)」としてスターリングラードの攻防戦を記念した博物館になっているようです。
ただし周辺の風景は当時と完全に様変わりしてしまいました。いま、噴水のあった場所は「博物館の前」と言うよりは、道路を挟んでお向かいにあるヴォルゴグラード駅前駐車場内、というのが正しいようです。Google Mapのストリート・ビューではこのあたりにあったようです。
【なんで銅像の位置がそこまで詳しくわかったの?】ロシア語なのでさっぱりわかりませんが、第二次世界大戦当時のスターリングラードを撮影した画像と、現在のヴォルゴグラードの同地点の画像とを合成させた「Link to the Past」という素晴らしいサイトがありました。ここには当時撮影されたこの銅像の写真を現在の場所の光景と合成させた画像が何枚もありました。このサイトのおかげで、ほぼ正確な場所が判明したのです。
【撮影者は?】
Emmanuil Evzerikhinというロシア人カメラマンです。彼はソ連国営タス通信のカメラマンとしてドイツとの戦いを最前線で撮影し続けたそうです。「最も有名な作品がスターリングラードでの(一連の)写真」と記事にはあります。
そんな彼は、あえて手をつなぐ子供たちと炎上する街を撮影することで、戦争の悲劇性を引き出そうとしたのでしょう。
これがスターリンに都合よくプロパガンダ写真として使われたのかどうかは不明ですが、侵略される側だからこそ撮影できた写真だと思います。
【こういう撮影手法はあったの?】
実はソ連にはあったのです。「対位法(コントラプンクト)」という映画の技法です。
本来は音と映像を別個のものと考え、その両者をうまく掛け合わせることで効果を何倍にもする、という演出法でした。
これに影響を受けたのが映画監督の黒澤明でした。彼は悲劇的なシーンや緊迫したシーンであえて陽気な音楽をバックに使うことで、悲劇性や緊迫感を増幅させたり、新たな効果を生み出すのが実に上手い監督でした。映画評論家の西村雄一郎が「黒澤明 音と映像」でそのあたりのことを詳しく書いています。
そんな黒澤はソビエトのセミョーン・チモシュンコ監督の「狙撃兵(1932)」という映画のワンシーンを高く評価していました(残念ながら僕は未見です)黒澤によれば舞台は第一次世界大戦。ロシア兵が凄腕のドイツの狙撃兵を刺し殺す緊迫したシーンでドイツ軍の塹壕からシャンソンが流れてくる、というものだそうです。黒澤は自分の作品で「対位法(コントラプンクト)」を使いたい場合は「そこんとこ『狙撃兵』でいこう!」という言い方をしていたと、インタビューで語っています。
(彼が「対位法」をどのように映画に取り入れていたかを知るには「クロサワの『野良犬』における対位法」という映像があったので、そちらをご覧ください)。
「対位法(コントラプンクト)」はソ連の映画監督が戦前から意図的に使っていた手法でした。
もちろんEmmanuil Evzerikhinの撮影した写真は「映像と音」ではありません。ですが「子供たちが遊んでいる像」と「炎上する街」という全く対照的な素材をひとつのフレームの中におさめることで、大きな効果とインパクトを見るものに与えています。ソ連の映画監督たちと同時代の表現者として、多分にこういう「対位法(コントラプンクト)」という手法を考えていたのだと思います。
【子供たちの銅像はなぜワニの周りで手をつないでいるの?】
ソビエトの文学作家(詩人、文芸評論家)コルネイ・チュコフスキーによる子供向けの一遍の詩から造られた銅像だそうです。銅像の名前は「チルドレンズ・ホロボード」。
「ホロボード」とは子供たちのお遊戯のダンスの意味だそうです。
ご丁寧なことにBarmaley Fountainの記事には、この詩からの抜粋も引用されています。
Little children!
For nothing in the world
Do not go to Africa
Do not go to Africa for a walk!In Africa, there are sharks,
In Africa, there are gorillas,
In Africa, there are large Evil crocodiles
They will bite you,
Beat and offend youDon’t you go, children,
to Africa for a walk
In Africa, there is a robber,
In Africa, there is a villain,
In Africa, there is terrible Bahr-mah-ley!
He runs about Africa
And eats children
Nasty, vicious, greedy Barmaley!
「アフリカは怖いトコだよ、サメもいれば、ゴリラもいる、邪悪なワニもいる」という詩なんですが、どうも英語力がないので微妙な言葉のニュアンスが伝わってきません。
Evil crocodiles(邪悪なワニ)という単語はあるのですが、子供が手をつないでその周りを踊っているというのがわかりません。
ただ気になったのは最後の数行でした。
「卑劣で、邪悪で、欲張りなバルマレイが子供たちを食べちゃうぞ!」ということから「バルマレイ」というのは人名だということに気付いたのです。
そこでコルネイ・チュコフスキーと「バルマレイ」について調べてみたら、いとも簡単に答が出てきました。
(ロシアの切手に描かれた山賊バルマレイ。ところでロシアの切手ってこういうエラー切手なんでしょうかね)
バルマレイはチュコフスキーが書いた「アイボリット先生」という童話に出てくる山賊の悪党の名前だったのです。つまりこの詩は「アイボリット先生」に関連する詩なのでしょう。
またチュコフスキーの書いた童話に「わにがまちにやってきた」というのが日本でも出版されていたようです。
このあたりを深く読めばさらにこの記事も深く書けるのでしょうけど、幸いなことに僕は文学研究者ではありません。
もともと思いつきで書き始めた記事です。そこまで深く追いかけるのは本職の方にまかせたいと思います。
さてこの「アイボリット先生」。これまた日本語で翻訳されたものが子供むけの絵本として出版されていたようです。
そのタイトルは「おおわるものバルマレイ」。悪役が主人公みたいですね。
でもその内容はヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズの「翻案」となっています。
ウィキには「ドリトル先生」との共通点として、
1:主人公が動物と話せる医師であること
2:猿の間に流行する伝染病を治療する為にアフリカへ渡航すること
3:伝染病を終息させたお礼に頭を2つ持った有蹄類のテャーニ・トルカイを贈られること
などか書かれていますが、これって「ドリトル先生アフリカゆき」のそのまんまですね。
それでも「アイボリット先生」はソビエトの子供たちには大人気だったようで、すでにソビエトでは1938年に映画化されているようですし、「山賊のバルマレイ(Бармалей)は、ロシアにおける「悪党」のステレオタイプ形成に大きく寄与したキャラクターとして知られている。」と上掲記事には書かれているわけです。
日本で言うとさしづめ「ばいきんまん」とか「ジャイアン」とかになるのでしょうか。
さて、カメラマンのEmmanuil Evzerikhin(相変わらずロシア語がわからないので名前の読みができません)は市街戦の真っただ中のスターリングラードにいました。
彼は「バルマレイ噴水」までたどりついたところで感じたのだと思います。
「バルマレイ」を上回るドイツ軍という「邪悪な存在」に町が炎上しているという事実を。
彼はそういう皮肉と、この写真がもたらす映像的な効果を考えながら撮影したのではないでしょうか。
【映像はないの?】
ありました。
最初、僕は「映像で見た記憶がある」と書きましたが、Emmanuil Evzerikhinと同じアングルから撮影された映像が存在しました。
「スターリングラード」というキーワードで記憶がよみがえりました。僕がこの映像を見たのはNHKスペシャル「映像の世紀 第五集 – 世界は地獄を見た」でした。
あるドイツ将校の回想としてナレーションが流れる中、スターリングラードの悲惨な映像の一部として、この子供たちの銅像のシーンがあったのです。
スターリングラードはもはや街ではない。日中は、火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。炎に照らし出された巨大な炉のようだ。それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえヴォルガ河に飛び込み、必死に泳いで対岸にたどり着こうとした。動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに硬い意志でも、いつまでも我慢していられない。人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜわれらを見捨て給うたのか。
残念ながらYoutubeで「映像の世紀」を見ることはできません。しかし、この歴史的な映像は他でも使われていました。
スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ(1971)」がそれです。
主人公に衝撃的な映像を見続けさせることで、主人公の人間性を根本から改めてしまう、というシーンで使われていました。
(衝撃的な映像もあるのでご注意下さい。なおバルマレイ噴水の映像のシーンはこちらをクリック)。
さらにこれだけではありません。
映画「スターリングラード」をご覧になった方は多いんじゃないかと思います。
(映画「スターリングラード – 2001」)
このシーンで使われているセットはバルマレイ噴水に他ならないではありませんか。
【まだ何か言いたいことあるの?】
あります(苦笑)。
僕の好きなシンガー・ソングライターのランディ・ニューマンの曲に「Sail Away」というのがあります。
アメリカの奴隷商人がアフリカの黒人を騙して船で連れ去る歌です。
(Randy Newman – Sail Away – 1972)
その歌詞を抜粋すると、こんな感じになります。
In America you’ll get food to eat
アメリカには食べ物がある。Won’t have to run through the jungle And scuff up your feet
ジャングルを駆け回る必要もないし、足を痛める必要もない。
Ain’t no lions or tigers-ain’t no mamba snake
アメリカにはライオンも虎もいなければ、大毒蛇もいない。
Just the sweet watermelon and the buckwheat cake
美味しいスイカと美味しいケーキもあるんだ。
Ev’rybody is as happy as a man can be
誰もが人間として最高の幸せな人生を送っている。
Climb aboard, little wog-sail away with me
さぁ、船に乗って俺と船出しよう。
という感じなのですが、これってチュコフスキーの詩のパロディになっているような気がしてならないのです。
なお、マイケル・ジャクソンとこの噴水に関して興味深い記事がありました。
英語ですが、興味のある方はこちらをクリックして読んでみて下さい。
【その後噴水はどうなったの?】
戦後になってこの噴水と銅像は修復されました。
1953年にスターリンが亡くなると、フルシチョフによる「スターリン批判」が行われ、
1961年には「スターリングラード」から「ヴォルゴグラード」へ改名。
そうした時代の流れと関係があったのかどうかはわかりませんが、1950年代にはこの噴水と銅像は撤去されてしまったそうです。
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは!そして、はじめまして。
関西地方に住む、「ろくさん」と申すものです。
スターリングラード攻囲戦についての調べものをしていた時に、このページに辿り着きました。
かの銅像について、ここまで調べ込まれて書かれたページは、ここぐらいかと思います。すごいですね!!
さて、すでご存じかもしれませんが、子どもたちの像は、2013年夏に(スターリングラード攻囲戦終結70周年)、レプリカという形で2体が再建されたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B3%89
おそらくロシアの人びとは「戦勝の記憶」というよりも、あの街が破壊し尽くされたことを記憶に留めるために、あの像を再建したのでしょう。
映画『スターリングラード』(2001年)で目にした件の銅像は、当時の私にとってもかなりの衝撃でした…。
調べて下さったおかげで、様々なことが判りました。
文末ながら、御礼申し上げます。
ろくさん 拝
>ろくさん
お褒め頂きありがとうございます。
色々調べものをしているウチに膨大な量になってしまうことがありまして、この記事もその際限のなさみたいなものでした。
コメントを頂いて「バルマレイ噴水」のWiki日本語版記事ができたことを知りました。記事は2015年に作られたようですね。したがってレプリカができたことは知りませんでした。情報ありがとうございます。
あれから改めて「スターリングラード」を見ましたが、あの噴水は緊迫したシーンに不思議な色をつけてくれていると思います。
「そこんとこ『狙撃兵』でいこう!」とクロサワが言ったように、監督は「狙撃兵」を知っていて、何か確信犯的にあのシーンを演出したんだと思っております。