不自然な上高地雑記

ぶうらぶら

【マイカー規制】
上高地への自家用車での乗り入れは全面的に禁止されています。途中で車を駐車させてバスかタクシーを利用することになります。むろん上高地の自然を守るためです。
これを「上高地マイカー規制」と呼んでいるんですが、いまひとつ馴染めない言葉ですね。「規則をもって制限する」っていう言葉のニュアンスからすると、「禁止」という意味ではなさそうだと思うのが旅人の人情じゃないですか。
警察にしてみれば、許可を得た車両は通行可能なわけだから「禁止」ではなく、あくまで「規制」でございますと言いたいのでしょう。

そんな「上高地マイカー規制」という言葉に騙され、何も考えずにレンタカーで「中ノ湯ゲート(上の画像=上高地の入口となる釜トンネルの閉口部にある)」に向かった挙句、警備員のおじさんに制止させられてから14年の歳月が経過しました(笑)。当時京都を出発したカップルは二児の親となり「マイカー規制」の意味もきちんと理解し、今度は神奈川から上高地へ戻ってきたのです。

(1994年9月 上高地にて)

【安房峠】

今回こそ通りませんでしたが、上高地の背後に連なる北アルプスの山々。これを最も至近距離で車で越えられるのが安房峠(あぼうとうげ)です。峠を越えれば、そこは岐阜県です。
僕が学生の頃ハマった小説家に泉鏡花という人がいるのですが、彼の代表的な作品「高野聖」には、名前こそ「天生峠(あもうとうげ=岐阜県の飛騨市と白川村を結ぶ峠、先月飛騨トンネルが開通した)」となっていますが、位置関係は明らかにこちらを意識した峠が登場しました。旅の僧はこの峠を越える途中で、魔性の女に魅入られます。
「峠マニア」な僕は1994年の9月に往復する形でこの峠を越えています。岐阜県側は比較的なだらかな道が続くのですが、長野県側の急峻で狭い坂道とヘアピンカーブの連続にはヒヤヒヤしました。この際、横目で安房トンネルの工事風景も眺めています。このトンネルの長野県側を出た付近で大規模な水蒸気爆発による斜面の崩壊が発生、4名の死者を出したのはその5ヶ月後のことでした。この事故によってトンネル出口側のルートは変更を余儀なくされたのですが、今でも放置された橋脚がこのようにツタに覆われながら朽ちています。

【沢渡市営第二駐車場】
マイカー規制によって集落そのものが「上高地の駐車場」という位置づけになってしまったのが沢渡(さわんど)です。
集落の国道158号線沿いのあちこちに駐車場があり。どこも普通車1日500円という安さです。沢渡大橋から500mほど進んで右折し、梓川を渡ったところにある沢渡市営第二駐車場はオススメです。ここは沢渡最大の駐車場で600台が収容可能なうえ、無料の足湯もあるので、旅の疲れを取ることもできます。

8月14日という時期もあったのかもしれませんが、ここを始発とした上高地行きのバスに乗ることができました。このバスに乗る際は進行方向左側に乗るのがコツでして、梓川の風景、安房トンネルの放置橋脚、焼岳、大正池、帝国ホテルなど美味しい風景はすべて左側の車窓から楽しめます。

なお、ここより上高地寄りにもいくつか駐車場はありますが、キャパはグッと小さくなるため時間帯によっては満車の可能性もあります。それより怖いのは、ここまでのバス停で満員になってしまい、いつまでたってもバスに乗れないことです。僕が行った際は時期が時期だけに、各停留所に係員を配置して、どの停留所からも乗車できるように無線で連絡を取り合って調整していましたが....そもそもバス料金は沢渡の5つのバス停のどこから乗っても均一料金を取られるので、わざわざ上高地に近づく意味がないのです。

【関東人と関西人の....】
沢渡は「長野県側の駐車場」ですが、安房峠を越えた岐阜県側の平湯温泉にも「岐阜県側の駐車場」があります。
安房峠を挟んだこの二つの地区、実は「長野県側」「岐阜県側」それ以上の意味を持っています。沢渡から上高地に入るのは関東人、それに対して平湯温泉から上高地に入るのは関西人なのです。
10年前の上高地は関西からアクセスの不便な場所でしたが、安房トンネルの開通を突破口として、東海北陸自動車道や中部縦貫自動車道が整備されたことによって、今では関東と同等か、それ以上にアクセスが便利になっています。今回、カミさんと二人で上高地における関西人の比率を場当たり的に調査した結果「4割」という数字が出ました。今後この数字はもっと増え続けることでしょう。

さて、この画像。
上高地のバスターミナルで8月14日の16時すぎに撮影しました。16時というのは上高地から帰る人のピークタイムなんだそうで、バスに乗るために行列ができているのです。もっとも、これだけ長い行列になったのは、もうひとつ理由があるようなんですが、それは最後に書きましょう。
広場中央の行列は平湯温泉行きのバスを待つ人たち、つまり関西人の行列です。この行列は森の中まで続いています。その待ち時間は最大60分でした。
そして奥の建物付近に見えるのは沢渡行きのバスを待つ行列です。つまり関東人の行列です。
もしかしたらこんな風景が見れるのは、日本広しと言えども上高地だけなんじゃないでしょうか。
それと「いらちで行列嫌い」な関西人が、これだけの行列を作っているというというのも上高地だけなんじゃないでしょうか。

【釜トンネル】
「トンネルマニア」な僕の心をくすぐるようなトンネルが、かつて上高地の入口にありました。それが釜トンネルです。正確には「旧釜トンネル」と呼ぶのがよいでしょう。現在は新しい「釜トンネル(2005)&釜上トンネル(2002)」の開通によってその役目を終え、閉鎖されているからです。

(現在の「旧釜トンネル」中ノ湯ゲート側の閉口部。鉄の門で閉ざされている)
そんなトンネルを僕は1994年に通りました。道幅が極端に狭いため、バス1台が通るのがやっと。当時は信号による交互通行が行われており、信号を5分ぐらい待たされた記憶があります。トンネル内部は岩盤をくり貫いた状態に近く壁面はデコボコ、、とりあえずコンクリートは塗ってあるものの、いつ崩落しても不思議はなさそうな雰囲気がプンプンでした。そんなトンネルをバスは慎重に走るのですが、車幅に余裕は少なく、目線の近くまで壁面が迫ってくること、その壁面にはバスが擦ったと思われるキズもあったりして、かなりスリリングなトンネルでした。
そして正面を見れば急勾配。そこをアクセルをふかしながらバスは登ってゆきます。運転慣れしている定期バスはともかくとして、観光バスなんかは運転に手間取るようで、そうしたバスを先頭にトンネル内で車が停滞していました。
しばらくするとロックシェッドとなっているため、梓川の深い渓谷が眺められるのですが、この風景がまた凄いもの。対岸の焼岳の山腹の崩壊がそのまま梓川の渓谷まで急転直下落ち込んでいるというダイナミックなものでした。
そんな釜トンネルを抜けた後だけに、雄大な上高地の風景は、なおさら印象に残るものでした。
いわば釜トンネルは地上の楽園へと通じる「狭き門」だったわけです。

おっと、この画像じゃ古すぎますね。これは昭和初期の釜トンネルの写真と言われています。菊池俊朗氏の「釜トンネル -上高地の昭和史-(2001年 信濃毎日新聞社)」によれば「開通したばかりの釜トンネルは長さ320メートル、幅と高さは2メートルそこそこ」だったとありますから、この画像はその時期の画像なのでしょう。この本によれば昭和8年にはバスが通れるまでに拡張されているそうですから、それ以前の画像、ということになります。
このトンネル、何度か拡張工事がされているのですが、それはバスの大型化に対応した段階的なもので、基本的には上の画像の「危なげさ」がそのままスケールアップしただけ、というのが釜トンネルでした。

(現在の「釜トン」上高地側。かすかにロックシェッドが見える)

人呼んで「恐怖の釜トン」と呼ばれたこのトンネル、「折りたたみ自転車で野山を走ろう」というサイトの「沢渡温泉~釜トンネル~バスターミナル~上高地散策」というコーナーに自転車で釜トンを通過した貴重な体験談があったのでリンクしておきます。
さて、我々がこのトンネルを通ってから5年後、トンネルの上高地側で大規模な土砂崩れが発生しました。

ちょうどロックシェッドの部分が押しつぶされ(ということはロックシェッドの意味をなしていないわけですが)、事前に異常を察知したバスが奇跡的に難を逃れました。この事件を機に新たにトンネルの開削工事が開始され、崩壊したロックシェッド部分を大迂回する「釜上トンネル」が、次いでそれと接続する形で「新釜トンネル」が開通したのです。

今度の釜トンネルは、このようにタクシーがバスを追い越ししてゆくぐらいの幅を持っています。

最後に「恐怖の釜トン」の怪談話。
菊池俊朗氏の本にはこんな記述がありました。
「トンネル内を通過していたら、"おーいい、おーい"と呼びかける声がする。声の方へ光を向けても人はいない(中略)声の主は、(トンネルの)工事で犠牲となり、トンネル内に埋められた朝鮮人の声、とするもっともらしい伝聞もある」。
ウィキペディアにおける「釜トンネル」の記述にはこうも書いてあります。
「昭和初期までは、冬の間に凍死した登山者の死体を春から夏の間に松本市側に移送する時までに、トンネル内で保管することもあった」。

【ひっくり返ったタクシーと土砂の流出】
時間は8月14日の16時前、河童橋近くの宿に荷物を置いて、大正池まで散策に行った後の話。突然夕立に見舞われ、あわててやってきたバスに飛び乗り、大正池~バスターミナルへとむかうバスの車窓からボーッと豪雨の風景を眺めていました。場所は上高地帝国ホテルの手前だったと思います。突然バスが対向車線へと移動し、僕の視界に妙なものが入ってきました。何と一台のタクシーが完全にひっくり返ってお腹を見せていたのです。事故の状況まではわかりませんでしたが、見通しのよさそうな一直線の坂道、スリップによる単独事故のような印象を受けました。こんな場所でどう走ったら車が横転するのか理解に苦しみました。そもそも上高地で交通事故を見るとは思いませんでした。前述の16時のバスターミナルの大行列は、この事故の影響もあったのかもしれません。
おそらくタクシーが一時的に道路をふさいでしまったため、交通がマヒしたのでしょう。
我々は8月16日に上高地を去ったのですが、19日には事故現場からそう離れていない中千丈沢….ここから押し出してくる土砂によって大正池はどんどん小さくなっているわけですが.....おりからの豪雨でこの沢から土砂が流出し、唯一の道路が埋まってしまい、観光客350人が足止めをくらったそうです。

今回はせっかく上高地に来たにもかかわらず、自然の美しさを一切紹介しないという暴挙をやってみました。
だから「不自然な上高地雑記」なわけですが、考えてみれば我々観光客の存在自体が不自然な存在なんですよね。水蒸気爆発でもトンネルの土砂崩れでも、ひっくり返ったタクシーでも、土砂の流出でも、そんな存在に対して、自然がちょっかいを出しているような気がしてなりませんでした。

ぶうらぶら