初夏の社会科見学 -JAL工場 & ANA機体工場見学 (1)

教室事件簿,管理人のたわごと

信じられないかもしれないだろうけど、1989年から今日までの間に飛行機に乗ったのがたった一回(2013年)という人間がここにいる。
特に「飛行機嫌い」という消極的な理由ではない。だけど飛行機を必要とするような積極的な理由を見いだせないまま平成の御代を生きてきた人間だ。

まあこの辺境Blogで「航空事故の話」とか「賞品は…」「事故おたくとバードストライクと羽田沖事故」なんていう不穏な記事ばっかり書いている人間だ。「積極的な理由でもない限り、無理して乗る必要もないだろう」という曖昧な理由を抱きつつ、車で関東甲信越地方を走り回っている。よっぽどそちらの方が危険かもしれないけど走り回っている。それ自体がちょっとした社会科見学になっていたりもする。

さて、東京には半年後まで予約で一杯という社会科見学の聖地がある。それが羽田にある日本航空(JAL)と全日空(ANA)の機体整備工場だ。
ここは以前からぜひ行ってみたいと思っていた。そのこと自体に理由などなくて、敢えて言えば「そこに工場があるから」。
どうせ行くなら両方を同じ日に見たいと思っていたところ、ピンポイントで両方予約可能な日を見つけたのが今から半年前のことだった。

参加人数は迷わず「8名」と入れた。あの場所(ミューズポート)に「参加者募集!」とチラシに置いておけば、絶対に同志が集まるはずだ。

というわけで6月19日午前9時40分、京急上大岡駅に集合した同志8名は一路羽田空港へと向かった。全員が仕事をお休みしての参加なことは言うまでもなかった。

10時30分、過去に乗った記憶すらない東京モノレールの「新整備場」駅で下車、真ん前にある「JALメンテナンス・センター」へ到着。
JALメンテナンス・センター
復活した「鶴丸君」がお出迎え。

厳重なゲートを通過して、まずは「SKY MUSEUM」へ。
JAL Sky Museun
管理人はお出迎えするこのヒコーキの種類すらわからない「ヒコーキオンチ」でもあります(答はボーイング777)。

他のメンバーは乗り慣れている「ボーイング777」とかの模型を撮影しているわけだけど、管理人はプロペラ機ばかり撮影。
DC-3
これは無茶苦茶キュートな「DC-3 金星号」。「金星」と来たらお次は「木星」だ。「なぜもくせい号(1952年に大島で墜落。日航初の事故機となった)はひらがなだったんだろうなぁ」と、またあらぬ方向の事を考えたりする。

マーチン2-0-2
と、思ったらお隣に「マーチン202」が並んでいる。たしか「もく星号」も「マーチン」という機種だったよなぁ~と思いながら何も考えずに撮影。帰宅してからこの写真のことを思い出した。気になったので画像の機体番号部分を拡大して飛行機名を調べてみた。
N93043
「N93043」….そのものズバリ「もく星号」の模型だった。

なんだか知ってはいけない事実を知ってしまったような気分になったけど、後で調べてみて気づいたのは、満足に解説板を読まずに撮影していた自分のマヌケさ加減だった。
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そもそも「金星号」は1951年に就航した日航の1番機だった。ただし機自体はフィリピン航空からのチャーター機だったし、諸般の事情でわずか3日間しか運航されなかった。定期運航になったのはノースウェスト航空から飛行機をチャーターしはじめて、その記念すべき一号機が「もく星号」だった。だから模型展示されていたというわけだ。これは知らなかったなぁ。
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松本清張も「日本の黒い霧」に書いているけど、当時は講和条約発効前だったから日本人による空の運航は不可能だった。
日航は営業とサービス面を担当し、運航はノースウェストに委託して外国人パイロットが担当するというのが最初期の姿だった。「もく星号」の墜落もアメリカ人機長の判断ミス(酩酊説や陰謀説もある)による墜落だったけど、日航にしてみればいい迷惑だったろう。
歴史の記念すべき1ページ目の裏ページを汚されたうえ、ミュージアムにもその姿をとどめているわけだから、複雑な気持ちではあるだろう。
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でもそれを直視することも大切だと言われれば、そうなんだと思う。特に安全を第一とする企業においては…..
自分自身も、自分の会社の10年の歴史を直視しているのだろうか?そんなことを思った。
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関係ないけど、最後にこの画像….
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どわな~くろ~ずまあいーず」ってイメージで撮影しました。

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