くるり ふれあいコンサート ファイナルの後で

ライブレポ

ロック・バンドとオーケストラの競演。
そんなライブ...いやコンサートに家族4人で行ってきた。

くるりとウィーン・アンバサーデ・オーケストラ(Ambassade Orchester Wien)との夢の競演「ふれあいコンサート ファイナル」がそれ。場所はパシフィコ横浜国立大ホール。

コンサートそのものについては、すでに多くの方々がblog化しているし、僕自身があの感動をいまだキチンとした言葉で表すことができないので省略する。そう、一曲目のオーケストラによる「ハイリゲンシュタット」が始まった瞬間に鳥肌が立ち、お次の「ブレーメン」で感動し、大好きな「春風」のwith オーケストラ・バージョンでは不覚にも胸にこみあげてくるものがあった。CDでしか聞けないと思っていたオーケストレイションされた音の洪水が目の前に押し寄せてきたからだ...って書いているじゃないか。

岸田繁が「このコンサートは着席のまま見て下さい、立つと警備員に撃たれますからね」とMCする中、観客は静かに2時間の演奏を見守った。ロック・コンサートとしては異例のノリだ。でも観客は最後の最後にその約束を破らざるを得なかった。自然と観客は総立ちとなり、スタンディング・オベーションで彼らを称えた。

それに応えて岸田は「すんません、これしかできる曲ないんですわ。僕たちの一番好きな曲です」と言って、再び「ブレーメン」を演奏した。立ったままの5000人の観客は左右に体を揺らしながら、自分たちが体験した「至福の時」を名残惜しんだ。

こんな素晴らしいコンサートを僕は一生忘れないだろう。岸田の感極まったMC「明日死ぬならば、今日死にたい」という言葉はもっともだと思った(YOUNGMAN BLUESさんの「ハマヨコ」という記事にはセットリストもあってオススメです)。

コンサートを終え、駅に向かう人ごみから離れて、家族4人でパシフィコの駐車場へと向かった。
気温がグングン下がっているんだけど、熱気で体は温かい。

ふと見ると、ホールの機材搬入口に大きな観光バスが停車している。その横でアンバサーデ・オーケストラの楽団員の方々が、今まさにバスに乗り込もうとしていた。すでに周囲に10人ぐらいのくるりファンの人たちが集まっていた。

ドイツ語はロクな点数がとれなかったけど、彼らに素晴らしいコンサートを支えてくれたことのお礼を言いたかった。「ダンケシェーン(ありがとう)」と「アウフ ヴィーダーゼン(さようなら)」ぐらいなら何とかなる。
楽団に向かって「ダンケ・シェーン」と叫ぶ。なんだか笑われている。でも伝わっている。

誰かメンバーがバスまで到着していないようで、日本人の担当者がレシーバーで「1名だけ来ていないんです」なんて言っている中、楽団員の一部はバスに乗り込まずにずっと立ち話している。

そんな中、あろうことか男の子を抱っこした佐藤征史が奥さんとともにやってきた。楽団員に「子供を見せる」と約束していたのだろうか、男の子は楽団員に抱っこされていた。「佐藤さん!素晴らしかったですよ!」とファンの誰かが叫ぶ。自然と拍手がわきおこる。コチラを見て佐藤が手を上げる。まもなく佐藤は去る。みると今回のライブから新たにサポートドラマーとなったあらきゆうこも楽団員と立ち話をしている。

そのウチに楽団員のヒゲのおっちゃんが、自分のカメラでバシバシ僕らファンのことを撮影し始めた。僕の子供たちもピースサインをしながら撮影された。そのウチに調子に乗ったのか、他の楽団員もファン側に混ざって一緒にポーズをとったりしてもの凄い撮影大会になってしまった。

やがて遅れていた最後の一人がやってきて、みんなゾロゾロとバスに乗り込んでゆく。
最後にヒゲのおっちゃんが通訳の方とゴニョゴニュ尋ねたあと、ヘンな日本語でこう言った。
「ライネン、マタアイマショウ!」
そしてバスは出発した。

このコンサートの最後を飾る、素敵な余韻だった。

(このライブの模様は2月にCD化されるとともに、TBS CSで2月17日に放送される。頼むからDVDをリリースしてくれ~)

追記:公式サイトにおける岸田の日記

遂にやってしまった。

来れなかった人すべてが後悔する最高のコンサートを。

はじめてかも。こんな充足感。

もっとやりたい。こんなコンサート。

くるりも、あらきも佐橋もサスペンダーズも、ほんで、アンバサーデ・オーケストラの奴らも、心の底から音楽を鳴らした夜。音楽を通して、ミュージシャンすべてと、お客さんすべての心がひとつになったと思う。

ほんまに音楽やっててよかった。

さらに追記
公式サイトの岸田の日記によれば、

しかし、打ち上げでのカラオケ・パーティーは恐ろしかった。
16人のオーケストラの面々と、指揮者のシュテファンとマネジャーのピーターたちは横浜の某カラオケボックスを破壊してしまうのではというくらい、派手に呑んで暴れて帰国していきました。

ライブレポ