あさま山荘、友部正人、そして1972年

歴史の切れ端

友部正人というフォークシンガーに「乾杯」という曲がある。

1972年7月にシングル「もう春だね」のB面としてURCレーベルからリリースされた曲。翌年1月にリリースされた名盤「にんじん(下のジャケ写)」にも収録されている。

ちょっと長いけど、ひとつの時代、ひとつの時代の人々の表情を切り取った歌という意味で素敵な歌詞なので全文引用させて頂く。

「乾杯」
作詞・友部正人 作曲・友部正人

いまだにクリスマスのような新宿の夜
一日中誰かさんの小便の音でもきかされてるようなやりきれない毎日
北風は狼のしっぽをはやし 
ああそれそれってぼくのあごをえぐる
誰かが気まぐれにこうもり傘を開いたように
夜は突然やって来て
君はスカートをまくったりくつ下をずらしたり

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ

電気屋の前に30人ぐらいの人だかり
割り込んでぼくもその中に
「連合赤軍5人逮捕 泰子さんは無事救出されました」
金メダルでもとったかのようなアナウンサー
かわいそうにと誰かが言い
殺してしまえとまた誰か
やり場のなかったヒューマニズムが今やっと電気屋の店先で花開く
いっぱい飲もうかと思っていつものやき鳥屋に
するとそこでもまた店の人たち
ニュースに気を取られて注文も取りにこない
お人好しの酔っぱらいこういう時に限ってしらふ
ついさっきは駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに
泰子さんにだけはさわりたいらしい

ニュースが長かった2月28日をしめくくろうとしている
死んだ警官が気の毒です
犯人は人間じゃありませんって
でもぼく思うんだやつら
ニュース解説者のように情にもろく 
やたら情にもろくなくてよかったって
どうして言えるんだい
やつらが狂暴だって
新聞はうすぎたない涙を高く積み上げ
今や正義の立て役者
見だしだけでもってる週刊誌 
もっとでっかい活字はないものかと頭をかかえてる
整列して機動隊
胸に花をかざりワイセツな賛美歌を口ずさんでいる
裁判官は両手を椅子にまたがせ
今夜も法律の避妊手術
巻き返しをねらう評論家たち
明日の朝が勝負だとどこもかしこも電話は鳴りっぱなし
結局その日の終わりにとりのこされたのは
朝から晩までポカーンと口を開けてテレビを見ていたぼくぐらいのもの

乾杯 取り残されたぼくに 
乾杯 忘れてしまうしかないその日の終わりに
乾杯 身もと引き受け人のないぼくの悲しみに 
乾杯 今度逢った時にはもっと狂暴でありますように

夜が深みにはまりこみ罵声だけが生き延びている
おでことおでここづき合ってのんべえさんたち 
にぎやかに議論に花を咲かせている
ぼくはひとりすまし顔
コップに映ったその顔が
まるで仕事にでも来たみたいなんでなんだかがっかりしてしまう

誰かさんが誰かさんの鼻を切り落とす 
鼻は床の上でハナシイと言って泣く
誰かさんが誰かさんの耳を切り落とす 
耳はテーブルの上でミミシイと言って泣く
誰かさんが誰かさんの口を切り落とす 
口は他人のクツの上でクチオシイと言って泣く
ぼくは戸を横にあけて表に出たんだ
するとそこには耳も鼻も口もないきれいな人間たちが
右手にはし 左手に茶わんを持って 
新宿駅に向かって行進しているのを見た

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ

にんじん(「乾杯」収録のアルバム)

この歌詞はどんな情景を歌っているのだろう?

今から4年前、紅葉がほぼ舞い落ちた季節のことだった。
僕は父のお供で軽井沢の某所に住む父の友人のところへ行ったことがある。

ちょうど映画が公開された後ということもあって、話題は1972年にこの地で発生した「あさま山荘事件」の話となった。

警察におわれた連合赤軍のメンバーが軽井沢の河合楽器保養所「あさま山荘」に侵入、管理人の奥さんである牟田泰子さんを人質にとって10日間にわたって篭城した。機動隊員2名が殉職し、不用意に山荘に近づいた民間人1名が亡くなっている。

この時、僕は幼稚園児だった。
この事件のことは今でも覚えている。幼稚園ではオカ先生が園児相手に「悪い人がね、人質をとってたてこもったのよ」的なわかりやすい説明をしてくれた。家に帰ると母親は生まれて間もない妹を抱っこして生中継のテレビにがぶり寄りしていた。どのチャンネルをまわしても同じ建物の映像だらけで、しかも変化がない。子ども心に「こんなモノをずっと見ていて何がおもしろいのだろう?」と思っていた。大人にチャンネルを奪われて「帰ってきたウルトラマン」や再放送の「バットマン」を見れないのが辛かった。とにかくひとつ言えるのは周囲のオトナたちがこの事件に対してみんな「熱くなっている」ということだった。「Fever」「Angry」「Hot」...まあどれでもいいけど、そんな風に熱くなっているということ、それが子どもの心にも伝わってきた。

そして僕らの遊びには「怪獣ゴッコ」に加えて「たてこもりゴッコ」が登場した。人質役として女の子が遊び仲間に加わった。この点が「怪獣ゴッコ」とは違う現象だった。そして犯人役の園児は「アジト」とよばれる秘密の場所(住宅の造成地とか団地の一角とか)に立てこもるのだ。他の園児は「武器を捨てておとなしく出てきなさい」と唱和するのだ。子どもも熱くなっていたようだ。

話を4年前に戻す。「あさま山荘事件」が話題になったとき、父の知人の方が「"あさま山荘"はここの近くです、行ってみますか?」と言ってくれた。事件マニアの僕が「それはぜひお願いします!」と即答したのはいうまでもない。

その人の運転で70年代、いや80年代のバブル時代の雰囲気がプンプンしている別荘地を走り抜ける。
濡れ落ち葉で今にもスリップしそうな坂道を登って行った先にその建物はあった。
あさま山荘
まず、当時とほとんど変わらない雰囲気に驚いた(もっとも事件当時は3階建てだったものが、基礎部分に部屋を設けたため、現在は4階建になっている)。

さらに上の道へと登ると、建物の入口側にたどりついた。機動隊が突入に際してクレーン車に鉄球をぶらさげ、壁をぶち破ったのがこのあたりだ。
あさま山荘
歴史的現場を見ることのできた僕は、しばしの間ボーッとしていた。

落葉の季節ということもあるし、雪に埋もれた建物という当時の記憶のせいもある。とても寒々しい雰囲気がした。それと対照的に当時のオトナたちは熱かったなぁ。そんなことを考えていた。

機動隊の「あさま山荘」への突入作戦が行われたのは36年前の今日....2月28日だった。そして友部正人の「乾杯」で歌われている風景もまた2月28日夜の新宿だ。そしてその歌詞にもまた不思議な「寒さと熱さ」が入り混じっている。

人質だった牟田泰子さんは機動隊によって無事救出された。そして逮捕された犯人の口からはもっと恐ろしいリンチ事件(山岳ベース事件)の全貌が明らかになってゆく。

最後に鳥居みゆきで「アカずきんちゃん
連合赤軍ネタ...
よくやるよ....

2013年追記:「あさま山荘のひとの一生かくれんぼ」もぜひお読みください。

歴史の切れ端